鉢形城

  • 読み:はちがたじょう
  • 別名:-
  • 所在地:埼玉県大里郡寄居町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:長尾氏、北条氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和7年4月19日)
  • 訪問日:平成23年12月23日

鉢形城は、荒川の南岸の断崖上に築かれた城で、文明8年(1476)に関東管領山内上杉氏の家宰であった長尾景春によって築城されたと伝えられています。永禄年間(1558~1570)に北条氏邦によって改修され、現在の規模になっています。以後は北条氏の北関東支配の拠点と西方からの攻撃の備えとしての役目を担っていました。

天正18年(1590)の小田原征伐に際し、氏邦らは約3000の兵で立て篭もりますが、前田利家、上杉景勝らによって攻められ開城。以後は廃城になったと考えられています。

荒川越しに見る鉢形城。
荒川側は断崖になっていて、こちらからの侵攻は不可能です。

深沢川の東岸に設けられた外曲輪。
写真奥の休憩所の向こうには鉢形城歴史館が建っています。

同じく外曲輪。
このあたりの外曲輪は土塁が残っています。

外曲輪と本曲輪・二の曲輪方面を隔てる深沢川。
天然の堀となっていました。

深沢川西岸に設けられた二の曲輪。
平成9年(1997)の発掘調査で鍛治工房があったことがわかっています。

二の曲輪内に祀られた城山稲荷神社。

二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀。
右が二の曲輪、左が三の曲輪です。

堀の中に設けられた畝。
北条氏の城郭の特徴であり、堀に落ちた敵の行く手を阻むためのものとも、堀底の水を一定に保つためのものともいわれています。

二の曲輪の西に設けられた三の曲輪。

三の曲輪の虎口(復元)。

三の曲輪内の秩父曲輪。
発掘調査の結果発見された掘立柱建物、庭園の池、井戸が復元されています。

三の曲輪の内側には川原石を3~4段に積み上げた石積土塁があったことが確認されています。

三の曲輪から見る荒川。

三の曲輪の西に設けられた諏訪曲輪。
現在は諏訪神社が祀られています。

諏訪曲輪を取り囲む堀。

諏訪曲輪と逸見曲輪に囲まれた御手洗池。
水濠の一部でした。

三の曲輪の南に設けられた逸見曲輪。

逸見曲輪の馬出し。

逸見曲輪の西に設けられた大手。

鉢形城の南西端にあたる大光寺曲輪。
現在は民家が建っています。

大光寺曲輪側から見た逸見曲輪南東の弁天社跡。
往時は周囲を水に囲まれていたようです。

二の曲輪の北、本曲輪の南端。
本曲輪は中央を道路が突っ切っています。

本曲輪内の道路の西側に設けられた御殿曲輪。

道路の東に建つ寄居町シルバー人材センターのあたりは御殿下曲輪です。

御殿曲輪内に立つ鉢形城址の碑。

御殿曲輪内に残る土塁。

御殿曲輪から見下ろす荒川。
断崖絶壁です。

本曲輪の北に一段低く設けられた笹曲輪。

笹曲輪内に設置された鉢形城跡の立体模型。
右が荒川、中央の溝が深沢川。深沢川の右に手前から笹曲輪、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪...と連なっているのがわかります。

荒川南岸の断崖の上に築かれた城です。北条氏の北関東支配の重要な拠点でしたが、小田原征伐で攻められ開城したのち廃城となっています。日本100名城に選定されています。