2012年8月アーカイブ

  • 読み:ながくぼじょう
  • 別名:深山城、霞の尾城
  • 所在地:長野県小県郡長和町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:大井氏、芦田氏(依田氏)、長窪氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成24年1月9日

長窪城は、依田川の東岸、盆地に向かって突き出した小高い山の尾根上に築かれた城です。応永年間(1394~1427)に大井氏または芦田氏(依田氏)によって築かれたとされています。その後佐久の大井氏の親類衆が長窪城を居城として長窪氏を名乗り、周辺を支配します。天文12年(1543)9月、城主であった大井貞隆は甲斐の武田信玄に攻められて降伏。以後、長窪城は武田氏の北信攻略の拠点となります。天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、小県郡は自立の道を進む真田昌幸の領地となり、天正11年(1583)、上田城が完成すると真田氏の家臣は上田城下に集められ、長窪城は廃城となりました。

北麓の依田窪病院付近から見た長窪城。
写真中央やや左の鞍部付近から右の尾根上に築かれました。

上の写真の鞍部部分。
長窪城跡の碑が立っています。
ここは搦め手になっており、写真奥に六郭が控えています。

搦め手から3分も歩くと六郭手前の堀切が見えてきます。

笹に覆われてた六郭。
まとまった兵力は駐屯できそうにありません。

六郭と五郭をさえぎる堀切。

五郭。

五郭と四郭をさえぎる堀切。

四郭。
ここは三、五、六郭にくらべて細長くなっています。

四郭と三郭をさえぎる堀切。

三郭。

三郭と二郭をさえぎる堀切。

二郭。
左の切岸の上は主郭になります。

二郭から北麓を見たところ。

二郭から見た主郭。
現在、主郭には東屋が建てられています。

主郭土塁には石積みが見られますが、これは後世に神社あるいは祠が祀られたときに造られたものかと思われます。

主郭から見下ろした南一の郭。

南一の郭から主郭方面を見たところ。

南一の郭から南を下っていくと現れる南の郭。

急坂をさらに南へ下ると現れる広い曲輪。
馬場と名づけられていますが...。

馬場の下の岩場。
これでは馬場へ馬を連れて行くようなことはできないと思うのですが。

馬場の下、赤頭川に面した大手。

依田川東岸の小高い山の尾根上に築かれた城です。長窪氏の居城でしたが武田信玄に攻め取られ、以後は武田氏の北進攻略の拠点となっています。

  • 読み:はちおうじじょう
  • 別名:-
  • 所在地:東京都八王子市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:北条氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和26年6月9日)
  • 訪問日:平成24年2月18日

八王子城は、深沢山の山頂部とその南麓の城山川沿いに築かれた城です。永禄12年(1569)に北条氏照の居城・滝山城が武田信玄に攻められ落城寸前にまで陥った経験から、より強固な居城として築城され、天正12年~15年(1584~87)頃に完成したといわれています。

天正18年(1590)、名胡桃城事件をきっかけに豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、関東の北条氏の諸城は次々と落城。八王子城は6月23日、小田原在城の城主・氏照を欠いたまま秀吉配下の前田利家、上杉景勝ら北方軍の攻撃を受け一日で落城。城兵のほか、女子供などの非戦闘員も惨殺されました。八王子城の落城は小田原に在城する将らに衝撃を与え、小田原城の開城を促すきっかけとなったといわれています。北条氏が降伏した後は、八王子城は徳川家康の所領となり、八王子城は禁制地とされました。

居館地区

東麓の駐車場から見た八王子城。
中央の山が要害地区です。

3段に分かれたアシダ曲輪。
「アシダ」の名の由来は不明ですが、倉庫が建ち並んでいたようです。

アシダ曲輪の上部に祀られている観音堂。

大手門の跡。
昭和63年(1988)の発掘作業で大手門の存在が確認されました。

大手門から御主殿方面へ続く古道。

模擬曳橋と御主殿。奥の山の上は要害地区です。

上の写真反対方向から見たところ。
写真左の石垣はほぼ往時のままです。

復元された御主殿への虎口。

御主殿の模擬冠木門。

広大な御主殿。
御主殿の名の通り、往時は城主の居館が築かれていました。

御主殿の城山川側は土塁が取り囲んでいます。

御主殿から模擬曳橋を見下ろしたところ。

御主殿から要害地区へ登る道の途中に現れる石垣群。
現在こちらの道は荒れており、要害地区へ向かうのは困難です。

御主殿の下を流れる城山川の御主殿の滝。
落城の日、城内の女性たちが滝の上で自刃し滝に身を投げたといわれています。
滝の水は彼女たちの血で3日間赤く染まったと伝えられています。

要害地区

要害地区への登山口。
山頂部に祀られる八王子神社の鳥居が建っています。

鳥居から10分ほど登ると現れる金子丸。

金子丸から10分弱で現れる8合目の柵門台。
金子丸方面、山王台方面、陣場街道方面、本丸方面への4つの道が交わる要衝です。

柵門台から10分弱登ったところにある9合目の高丸。

高丸からやはり10分弱で本丸地区の腰曲輪に到着します。
この上が八王子神社のある中の曲輪です。

腰曲輪から見る関東平野。

腰曲輪から崖沿いの道を進むと積みなおされた石垣が現れます。

松木曲輪。

松木曲輪の下の中の曲輪。
八王子神社が祀られています。
ほとんどの登山者はここで引き揚げてしまっています。

八王子神社の背後に設けられた本丸。
本丸の名に反してあまり広くなく、櫓台程度のものが建っていたと考えられます。

本丸地区から詰城方面へ向かうと現れる炊井の井戸。
今も手押しポンプで水が出ます。

井戸から10分弱で馬冷しの堀切に到着します。
堀切の深さは10m以上にも及びます。

詰城の手前には大きな石がごろごろ転がっています。
往時は石垣を形成していたものかも知れません。

馬冷しの堀切から10分ほどで詰城に到着。
大天守台とも呼ばれていますがここに天守があったとは思えません。
やはり櫓台程度のものが建っていたのではないでしょうか。

詰城から富士見台へ向かいます。

道の上が富士見台です。

詰城から15分ほどで富士見台に到着します。

富士見台から眺める富士山。
武田信玄の本拠甲斐はすぐそこです。

圏央道八王子城トンネルの真上に築かれた城です。北条氏の山城の集大成ともいえ、深沢山の山頂部と城山川沿いに大城塞が構築されています。天正18年(1590)の小田原征伐で前田利家、上杉景勝らの攻撃を受け落城。このとき女子供を含む多数の非戦闘員が惨殺されています。日本100名城。