長窪城

  • 読み:ながくぼじょう
  • 別名:深山城、霞の尾城
  • 所在地:長野県小県郡長和町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:大井氏、芦田氏(依田氏)、長窪氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成24年1月9日

長窪城は、依田川の東岸、盆地に向かって突き出した小高い山の尾根上に築かれた城です。応永年間(1394~1427)に大井氏または芦田氏(依田氏)によって築かれたとされています。その後佐久の大井氏の親類衆が長窪城を居城として長窪氏を名乗り、周辺を支配します。天文12年(1543)9月、城主であった大井貞隆は甲斐の武田信玄に攻められて降伏。以後、長窪城は武田氏の北信攻略の拠点となります。天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、小県郡は自立の道を進む真田昌幸の領地となり、天正11年(1583)、上田城が完成すると真田氏の家臣は上田城下に集められ、長窪城は廃城となりました。

北麓の依田窪病院付近から見た長窪城。
写真中央やや左の鞍部付近から右の尾根上に築かれました。

上の写真の鞍部部分。
長窪城跡の碑が立っています。
ここは搦め手になっており、写真奥に六郭が控えています。

搦め手から3分も歩くと六郭手前の堀切が見えてきます。

笹に覆われてた六郭。
まとまった兵力は駐屯できそうにありません。

六郭と五郭をさえぎる堀切。

五郭。

五郭と四郭をさえぎる堀切。

四郭。
ここは三、五、六郭にくらべて細長くなっています。

四郭と三郭をさえぎる堀切。

三郭。

三郭と二郭をさえぎる堀切。

二郭。
左の切岸の上は主郭になります。

二郭から北麓を見たところ。

二郭から見た主郭。
現在、主郭には東屋が建てられています。

主郭土塁には石積みが見られますが、これは後世に神社あるいは祠が祀られたときに造られたものかと思われます。

主郭から見下ろした南一の郭。

南一の郭から主郭方面を見たところ。

南一の郭から南を下っていくと現れる南の郭。

急坂をさらに南へ下ると現れる広い曲輪。
馬場と名づけられていますが...。

馬場の下の岩場。
これでは馬場へ馬を連れて行くようなことはできないと思うのですが。

馬場の下、赤頭川に面した大手。

依田川東岸の小高い山の尾根上に築かれた城です。長窪氏の居城でしたが武田信玄に攻め取られ、以後は武田氏の北進攻略の拠点となっています。