小田原城

  • 読み:おだわらじょう
  • 別名:-
  • 所在地:神奈川県小田原市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:大森氏、北条氏、大久保氏、阿部氏、稲葉氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和13年8月8日)
  • 訪問日:平成24年6月16日

小田原城は酒匂川、早川、相模湾に囲まれた八幡山周辺に築かれた平山城です。その築城年代ははっきりとしていませんが、室町時代に大森氏が八幡山に居城を築いたのが始まりといわれています。

明応4年(1495)、伊豆の伊勢盛時(北条早雲)が大森藤頼から小田原城を奪い、北条氏の本拠とします。北条氏によってそれまで八幡山周辺のみであった城は拡張されていきます。小田原城は3代目の氏康の時代に、永禄4年(1561)に越後の長尾景虎(上杉謙信)、永禄12年(1569)に甲斐の武田信玄によって攻められますが、いずれも持ちこたえ撤退に追い込んでいます。城はその後も拡張され、最終的には天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の直前には市街地を取り込んだ周囲9キロに及ぶ惣構えの大城郭となっています。小田原征伐では、豊臣軍数十万の包囲の中で籠城を続けますが、前田利家らによって支城が次々と攻略されていき、7月5日に北条氏は降伏し、小田原城は豊臣方に明け渡されました。戦争を主導した4代目当主北条氏政と氏照は切腹、5代目当主氏直は高野山へ送られ、失意のうちに30歳でこの世を去ります。

北条氏滅亡後、関東は徳川家康の領地となり、小田原城には家康配下の大久保忠世が入ります。大久保氏は2代目の忠隣の代に失脚し、改易。替わって阿部氏、稲葉氏が小田原へ入ります。貞享3年(1686)に大久保忠朝が小田原へ戻り、以後明治まで大久保氏が小田原藩主を務めました。

二の丸東堀脇の御用所。
藩士の執務所があったところです。

二の丸東堀。
堀の向こうが二の丸。赤い橋は後世築かれたものです。

二の丸東堀から見る馬出門。

馬出門。

馬出門から見る二の丸隅櫓。

馬出門内部。

馬屋曲輪。
写真奥に馬出門が見えます。

馬屋曲輪を取り巻く土塁。

馬屋曲輪の二重櫓跡。

馬屋曲輪に建つ観光案内所。

平面復元された馬屋跡。

馬屋曲輪から見る銅門。
昭和58年(1983)に復元されました。

銅門内部。

銅門を久通ったところから見る二の丸。

二の丸隅櫓。

二の丸御殿跡。
藩主の居館と政庁の機能を持っていました。

本丸東堀。
堀と土塁の向こうは本丸です。

二の丸と本丸をつなぐ常磐木橋。

常磐木橋から続く常盤木門。

常盤木門をくぐったところから見る本丸。
本丸には将軍専用の本丸御殿が築かれていました。

小田原城復興天守。
昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで復興されたものです。

復興天守から見る八幡山古郭。(中央)
戦国時代の小田原城の面影を残す遺構です。

復興天守から見る石垣山城方面。

南曲輪の堀。

御茶壷曲輪。
写真奥に銅門が見えます。

本丸の南に設けられた小峯曲輪。
報徳二宮神社が鎮座しています。

三の丸幸田口門の土塁。

小田原駅東口付近に残る北条氏政・氏照の墓所。

酒匂川、早川、相模湾に囲まれた八幡山周辺に築かれた城です。小田原征伐前には市街地を取り込んだ周囲9キロの大城郭となり、大坂城を超える当時日本最大の城となりました。日本100名城。