2013年3月アーカイブ

  • 読み:いしがきやまじょう
  • 別名:石垣山一夜城
  • 所在地:神奈川県小田原市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:豊臣秀吉
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和34年5月13日)
  • 訪問日:平成24年6月16日

石垣山城は、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、秀吉によって小田原城の南西3kmのいちにそびえる笠懸山とも松山とも呼ばれた山の頂上部に築かれた陣城です。4月に着工して6月27日に完成。小田原城側に面した木を伐採し、一夜にして城が出現したように見せかけ北条氏を驚愕させたことから、石垣山一夜城とも呼ばれています。秀吉は、この城に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師を呼び寄せたりしました。また、茶々(淀殿)などの側室を呼び寄せ、参陣した諸大名にもこれに倣うよう勧め、関白の余裕を見せつけたといわれています。同年7月5日、北条氏が降伏し、小田原城が開城すると、石垣山城はその役目を終え廃城となりました。

城の南東、現在は駐車場になっているあたりから見た南曲輪の石垣。

城の南東から二の丸方面へ向かう途中に見られる崩落した石材。
関東大震災の時に崩落したものが多いそうです。

広大な二の丸。
奥の切岸の上は本丸です。

二の丸の櫓台跡。
小田原城からよく見えたと思われます。

二の丸の北東の低くなったところに設けられた井戸曲輪。
深く掘られたさざえ井戸で、壁面が石垣で補強されています。

本丸。

本丸から、小田原城方面を見たところ。
霧に包まれていてわかりづらいですが、小田原の街が近いことがわかります。

天守台。
石垣はほとんど崩れてしまっています。

天守台から見た本丸。

本丸の南西に設けられた西曲輪。
奥の石垣の上が本丸の天守台になっています。

南曲輪方面から西曲輪への虎口。

本丸の南東に設けられた南曲輪。

南曲輪の南東、現在駐車場になっているところに置かれている石垣用石材。
石垣山の西側斜面で発掘されたものを移設したものです。

小田原城の南西3kmの石垣山頂上部に築かれた陣城です。小田原征伐のためだけに造られた城で、小田原征伐の期間中はまるで臨時の大坂城のように賑わっていたといいます。小田原城が開場すると、その存在意義は失われ、廃城となりました。