小幡陣屋

  • 読み:おばたじんや
  • 別名:小幡城
  • 所在地:群馬県甘楽郡甘楽町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:織田氏、奥平松平氏
  • 文化財指定:国指定名勝(平成12年3月30日)
  • 訪問日:平成24年8月5日

小幡陣屋は、大坂の陣後に小幡に封じられた織田氏によって、雄川東岸に築かれた陣屋です。織田信長の次男・信雄は、大坂の陣後に大和宇陀3万石と上野小幡2万石を与えられ、小幡には信雄の四男・信良が入りました。信良は初め福島に居城しますが、後に雄川東岸の平地に陣屋の造営を開始。藩主は3代目の信昌に代わり、寛永19年(1642)に完成、これが小幡陣屋となります。小幡陣屋には池を中心とした回遊式の庭園が設けられ、論語の「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の一説から「楽山園」を名付けられました。

織田氏は7代にわたって小幡藩主を務めますが、明和3年(1766)、儒学者の山県大弐が幕府に対しての謀反の罪で処刑されたのに連座して出羽へ移封。翌明和4年、松平忠恒が小幡に入ります。奥平松平氏は明治維新まで4代に渡り幕府の要職を務めますが、藩の政は悪化し領内は荒廃。借金がかさみ、慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府側に与して藩を維持するのがやっとの状況になります。明治4年(1872)、廃藩置県を迎え小幡陣屋は廃城となりました。

雄川の西岸にある甘楽ふるさと館付近から見た小幡陣屋。

小幡陣屋の西を流れる雄川。
天然の堀となっていました。

復元された中門。
現在は楽山園への入場門になっています。

外郭に復元された十九間長屋。
藩邸の職務の従事者の住まいであった。

拾九間長屋内部には小幡陣屋の復元模型が展示されている。

拾九間長屋内部に展示された藩祖・織田信雄像。

外郭と内郭を隔てる復元された土塁と外郭側に設けられた堀。
石積も復元されています。

平面復元された外郭内の厩跡。。

北裏門。

外郭の北端部分。
こちらも建物の跡が平面復元されています。

外郭北部と内郭を隔てる北門。

内郭。

内郭内に平面復元された藩邸跡。

外郭南部と内郭を隔てる玄関前門。
中門から入ってすぐのところにこの門があり、くぐるとすぐ藩邸の玄関があったことから、小幡陣屋が軍事施設としてよりも政務の場を重視していたことが伺えます。

内郭から楽山園へつながる庭門。

復元された楽山園。
丘の上の建物は梅の茶屋、その下の建物は腰掛茶屋、池は昆明池です。 国指定名勝になっています。

茶屋・凌雲亭。
有料で抹茶が楽しめます。

楽山園の南東側に設けられた庭園。
築山と池が復元されています。

復元された腰掛茶屋。

復元された梅の茶屋。
小幡陣屋の最高所に当たります。

梅の茶屋から眺める小幡陣屋主要部。

武家屋敷の入口に設けられた食い違い郭。

中小路。
通りの両側に武家屋敷が並んでいました。

陣屋の北東の市街地に残る大手門礎石。
四脚門が建てられていたといいます。

織田信長の次男・信雄を藩祖とする小幡藩の陣屋です。大名庭園「楽山園」が国の名勝に指定されています。