祢津城

  • 読み:ねづじょう
  • 別名:-
  • 所在地:長野県東御市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:祢津氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:2012年9月7日

千曲川北岸の祢津城山に築かれた山城です。祢津氏が築いたものと思われますが、その築城年代は定かではありません。祢津氏は古くからその名が見られ、保元元年(1156)の保元の乱で源義朝に従った武将の中に祢津神平の名があるといいます。天文10年(1541)、武田氏、諏訪氏、村上氏の連合軍が当地へ進出してくると、祢津氏は武田氏に属するようになります。天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると、北条氏麾下となり、徳川家康に属した真田氏と戦いますが、翌天正11年には真田氏に属しています。その子孫は松代藩の家老や目付を務めたほか、沼田藩の家老も務めています。

祢津城山の南西麓から見た祢津城(中央の小高い山)。

駐車場からの登り口。

駐車場から10分程度でたどり着く虎口状の部分。
写真ではわかりづらいですが、この両側が横堀状になっています。

主郭の南の腰曲輪から主郭の切岸を見たところ。

主郭を取り囲む土塁の外側には石積の名残が見られます。

主郭。
周囲を土塁が取り囲んでいます。

主郭を取り囲む土塁。

主郭から南方向を見たところ。
遠くには蓼科山が見えています。

主郭背後(北側)の堀切。

主郭の北側に設けられた二郭。

二郭の北側にも大規模な堀切が設けられています。

二郭のさらに北に設けられた三郭。

三郭の北にある周囲より低くなった区画。
池とされていますが、馬出しのようにも見えます。

池のさらに北には石積が見えますが、往時のものなのかはわかりません。
このさらに北に「上の城」がありますが、現在は藪化が進み、こちら側から行くのは困難です。

千曲川北岸の祢津城山に築かれた山城で、祢津氏の居城です。上の城と下の城に分かれており、ここでは下の城を紹介しています。土塁や堀切が良好な状態で残されています。