2013年10月アーカイブ

  • 読み:びんまんじじょう
  • 別名:-
  • 所在地:滋賀県犬上郡多賀町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:敏満寺勢力
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:2012年10月6日

敏満寺城は、琵琶湖東岸の青龍山の北西麓に築かれた城で、天台密教の寺院が城砦化したものです。中世には湖東一の大寺院となり、それ故に守護大名佐々木氏や京極氏と対立するようになります。永禄5年(1562)、浅井長政に攻められた久徳氏に味方したために長政に攻められ、120以上あった坊舎はほとんどが炎上、さらに元亀3年(1572)には織田信長の命に従わなかったことから、残りの坊舎も焼かれ、寺領は取り上げられ、敏満寺城は衰退していきました。慶長年間(1596~1615)には残った礎石も彦根城築城のために運び去られています。

現在では、城域のほとんどが高速道路の下になっていますが、多賀サービスエリア上りの一角に小公園が整備され、土塁や櫓台の遺構を見ることができます。

名神高速道路多賀サービスエリア上りの一角にある敏満寺城跡の碑。
後ろにはサービスエリアのガソリンスタンドが見えます。

主郭の土塁。

碑から見た主郭内部。
現在は遊具やドッグランが設けられています。

櫓台跡。

琵琶湖東岸の青龍山の北西録に築かれた城塞化した寺院です。全国的にも珍しい、高速道路のサービスエリアの中にある城跡としても知られています。下りのSAにも敏満寺の遺構が残されています。

  • 読み:ふじわらのみや/ふじわらきゅう
  • 別名:-
  • 所在地:奈良県橿原市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:天皇家
  • 文化財指定:国特別史跡(昭和27年3月29日)
  • 訪問日:2012年10月6日

藤原宮は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)までの都であった藤原京の中心部に設けられた宮殿です。大きさはおよそ900メートル四方、周囲を大垣と堀で囲み、それぞれの面には門が3つずつ設けられていました。天皇の住居である内裏、政治や儀式の場である大極殿と朝堂院、役所の建物が建ち並んでいましたが、和銅3年(710)に都が平城京へ移され、都としての役目を終えました。

藤原宮全図(大極殿跡前の案内板より)

内裏跡に設けられた溜池・醍醐池。

大極殿跡。
正面幅45メートル、奥行20メートル、基壇を含む高さ25メートルほどの建物であったとされています。
現在は基壇の跡が残り、大宮土壇と呼ばれています。

大極殿跡の基壇に鎮座する鴨公神社。

太極殿院と朝堂院を隔てていた大極殿院閤門。
正面幅30メートル、奥行15メートルほどであったと推定されています。
実際の閤門跡より南へ30メートルほどのところに列柱で再現されています。

太極殿院閤門の再現列柱前から朝堂院跡を見たところ。
発掘作業が進められていました。

朝堂院西門の再現列柱。
西門は発掘作業が行われておらず、推定地より10メートルほど北に再現されています。

朝堂院南門の再現列柱。奥には大和三山のひとつ耳成山が見えています。
太極殿院閤門とほぼ同じ大きさであったと考えられています。
実際の位置より20メートルほど北に再現されています。

朝堂院南門再現列柱より東に聳える天香久山を見たところ。
持統天皇も「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」と詠んでいます。

朝堂院東門跡の再現列柱。
実際の位置よりも10メートルほど北に再現されています。

わが国最初の都城であった藤原京の中心部に設けられた宮殿です。藤原京は持統天皇、文武天皇、元明天皇の3代にわたる都でしたが、わずか16年で平城京へ遷都されました。

  • 読み:あすかいなぶちきゅうでん
  • 別名:-
  • 所在地:奈良県高市郡明日香村(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:中大兄皇子?
  • 文化財指定:国史跡(昭和54年3月20日)
  • 訪問日:2012年10月6日

飛鳥稲淵宮殿は、飛鳥川の上流・稲淵川の西岸に築かれた宮殿で、昭和52年(1977)にその跡が発見されました。7世紀後半頃の遺構と考えられています。これまでに正殿、後殿、脇殿2棟の柱の跡が見つかっています。発掘されたのは一部で、正殿の西や南にさらなる建物の跡があると考えられています。

白雉4年(653)に中大兄皇子(のちの天智天皇)が難波宮から飛鳥宮へ戻って一時期営んだ飛鳥川辺行宮(あすかかわべのかりみや)ではないかとも考えられていますが、確証は得られていません。

写真左側に正殿、右側に後殿があった場所。
現在は駐車場になっています。

稲淵川から見た飛鳥稲淵宮殿跡。
草が刈られた空き地の場所には脇殿がありました。

宮殿跡のすぐ東を流れる稲淵川。右が宮殿側。
宮殿の東端であったと考えられます。

稲淵川の西岸に築かれた宮殿です。中大兄皇子の飛鳥川辺行宮ではないかともいわれていますが、定かではありません。