平城宮

  • 読み:へいじょうきゅう/ならのみや
  • 別名:-
  • 所在地:奈良県奈良市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:天皇家
  • 文化財指定:国特別史跡(大正11年10月12日)、ユネスコ世界文化遺産(平成10年12月2日)
  • 訪問日:2012年10月6日

平城宮は、和銅3年(710)、それまでの都であった藤原京から遷都された平城京の北端に置かれた宮殿です。大きさは東西約1.3キロメートル、南北約1キロメートル、周囲を大垣が取り囲み、朱雀門を始めとする12の門が設けられていました。宮殿内には天皇の住居である内裏、政治や儀式の場である大極殿と朝堂院、役所の建物が建ち並んでいました。

天平12年(710)12月に聖武天皇の勅命により恭仁京へ遷都され平城京は一時放棄されます。さらに天平15年(743)に紫香楽宮、天平16年(744)に難波宮へ遷都されましたが、天平17年(745)5月、再び平城京へ遷都されました。その後延暦3年(784)に桓武天皇によって長岡京へ都が遷されるまで、平城京は政治の中心で在り続けました。

弘仁元年(810)9月、平城上皇が平安京を廃して平城京へ遷都する詔を発しますが、嵯峨天皇により防がれ、平城京への遷都が実現されることはありませんでした。その後の平城京は次第に農地化していきますが、奈良の町は南都と呼ばれ特別視されました。

復元された平城京の中心を南北に貫く朱雀大路を朱雀門から見たところ。
幅は約75メートルとされています。

復元された平城宮の正門・朱雀門。

朱雀門から第一次大極殿方面を見たところ。
現在、宮殿跡内を近鉄奈良線が貫いています。

第一次大極殿南門から朱雀門方面を見たところ。
往時は朝堂院が建っていました。

第一次大極殿南門から大極殿方面を見たところ。

復元された第一次大極殿(和銅3年(710)から天平12年(740)までの大極殿)。
天皇の即位や外国使節との面会などに使われていました。
奈良時代中頃には移築されて山城国国分寺の金堂として利用されました。

第一次大極殿に置かれた高御座の実物大イメージ模型。

第一次大極殿から南門、朱雀門方面を見たところ。

第一次大極殿の東に設けられた第二次大極殿(天平17年(745)~延暦3年(784)までの大極殿)の築地回廊跡。

復元された第二次大極殿の基壇。

復元された第二次大極殿の基壇の礎石。

藤原京から遷都された平城京の北端に置かれた宮殿です。聖武天皇の時代に一時放棄されましたが、再び平城京に都が戻っています。平成10年(1998)に古都奈良の文化財としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。