2014年6月アーカイブ

  • 読み:すがややかた
  • 別名:菅谷城
  • 所在地:埼玉県比企郡嵐山町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:畠山氏
  • 文化財指定:国指定史跡(平成20年3月28日)
  • 訪問日:平成24年12月31日

菅谷館は、都幾川の北岸の平地に築かれた平城です。その築城年代ははっきりしていませんが、畠山重忠が文治2年(1187)まで居住していたとされています。元久2年(1205)の二俣川の合戦では、畠山重忠はここから出発したと「吾妻鏡」に記されています。この頃の菅谷館は主郭程度のもので、現在の規模になったのは戦国時代になってからと考えられています。室町時代の漢詩集「梅花無尽蔵」によると、長享2年(1488)に菅谷館付近の須賀谷原で山内上杉氏と扇谷上杉氏が合戦となり、700人が戦死したと記されています。

南郭の虎口。

南郭。

二郭。

二郭と主郭の間の堀。
右の切岸の上が主郭です。

二郭の東端に設けられた枡形土塁。

二郭の門付近の土塁上に立つ畠山重忠像。

主郭の虎口。

主郭。
畠山重忠の居住した時代の菅谷館はこの主郭のみだったと考えられます。

主郭の東・北・西を取り囲む土塁。

城の北端に設けられた搦手門。

三郭。

三郭に建つ埼玉県立嵐山史跡の博物館。
博物館の前には発掘調査で見つかった建物跡と井戸跡が示されています。

博物館前には菅谷館の立体模型が設置されています。

三郭西端の正站門付近に設けられた蔀土塁。
西郭から三郭の様子を伺えないように造られたものです。

三郭と西郭の間にかけられた復元木橋。

西郭。
ほかの曲輪と違い、傾斜がついています。

菅谷館の南を流れる都幾川。

都幾川北岸の平地に築かれた平城です。菅谷「館」と呼ばれていますが、館であったのは畠山重忠の時代で、戦国時代には城と呼んでも良い規模に改修されています。

  • 読み:なんばだじょう
  • 別名:難波田氏館、南畑城
  • 所在地:埼玉県富士見市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:難波田氏、上田氏
  • 文化財指定:埼玉県指定旧跡(昭和36年9月1日)
  • 訪問日:平成25年3月11日

難波田城は、荒川と新河岸川に挟まれた平地に築かれた城です。鎌倉時代に武蔵七党村山党出身の金子高範がこの地に移って難波田氏を称し居を構えたのが始まりとされています。当時は現在よりも規模の小さな館程度のものと考えられていますが、その規模は具体的にはわかっていません。戦国時代、難波田氏は扇谷上杉氏に仕えていましたが、天文14年(1545)の河越夜戦で難波田憲重は討死し、難波田城には北条方の上田氏が入りました。この頃に、難波田城は大改修を受けたと考えられています。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐では、ほかの北条氏の諸城と同じく豊臣方の大軍に攻められ降伏、開城。難波田城はその後廃城となりました。

難波田氏館跡の碑が立つ主郭。
主郭は写真奥の宅地方向に広がっていました。

主郭の南に設けられた馬出曲輪。

馬出曲輪の東に架かる木橋(復元)。
橋の幅は内側が2間、外側が3間で、攻め出しやすく攻め入りづらい構造になっています。

馬出曲輪を取り囲む堀を東側から見たところ。

食い違い虎口。

馬出曲輪を取り囲む堀を南側から見たところ。

模擬大手門。

荒川西岸、新河岸川東岸の平地に築かれた城です。往時は周囲を湿地が取り囲む水城であったようです。現在は難波田城公園として整備されています。

  • 読み:にいがたじょう
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県新潟市中央区(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:新発田氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成25年3月31日

新潟城は、信濃川と阿賀野川が日本海に流れ込むデルタ地帯に築かれた城です。御館の乱の恩賞に不満を抱いた新発田重家が天正9年(1581)に反乱を起こし、その際に新潟津を占拠するためにこの地にあった砂州に城を築いたとされています。新発田重家は、城将に新潟城に新発田綱之を入れ、新発田城との補給と港湾を確保します。対する上杉景勝は木場城に菱沼友重、山吉景長らを派遣し、新潟城の動向を監視させます。

天正11年(1583)2月、新発田綱之が木場城をせめ、さらに3月にも木場城を攻めます。木場城側も新潟城を攻めますが効果はなく、4月には上杉景勝自ら新潟城を攻撃しています。景勝は新潟城に冷を放ち、新潟城は火の海となりましたが、それでも新潟城は落ちず、景勝は撤退します。天正13年(1585)11月20日、玉木屋と若狭屋の商人が新潟城に入り込み、内通者を誘って新発田綱之を討ち取り落城。その後の新潟城は信濃川と阿賀野川の氾濫の繰り返しによってどこにあったのかも定かではなくなります。現在では、白山神社の辺りにあったのではないかと比定されています。

白山神社。
新潟城はこの辺りにあったと比定されています。

白山神社の随神門。

白山公園。
池があるが、城の名残は皆無です。

獅子山。
周りよりも高くなっていますが、往時からの地形ではなさそうです。

信濃川と阿賀野川の河口地帯に築かれた城です。往時の新潟は信濃川と阿賀野川が氾濫を繰り返す大湿地帯で、砂州や三角州が点在するようなところでした。当然、そんなところに築かれた新潟城は河川の氾濫の繰り返しでどこにあったのかもわからなくなり、白山神社付近が新潟城跡に比定されています。