菅谷館

  • 読み:すがややかた
  • 別名:菅谷城
  • 所在地:埼玉県比企郡嵐山町(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:畠山氏
  • 文化財指定:国指定史跡(平成20年3月28日)
  • 訪問日:平成24年12月31日

菅谷館は、都幾川の北岸の平地に築かれた平城です。その築城年代ははっきりしていませんが、畠山重忠が文治2年(1187)まで居住していたとされています。元久2年(1205)の二俣川の合戦では、畠山重忠はここから出発したと「吾妻鏡」に記されています。この頃の菅谷館は主郭程度のもので、現在の規模になったのは戦国時代になってからと考えられています。室町時代の漢詩集「梅花無尽蔵」によると、長享2年(1488)に菅谷館付近の須賀谷原で山内上杉氏と扇谷上杉氏が合戦となり、700人が戦死したと記されています。

南郭の虎口。

南郭。

二郭。

二郭と主郭の間の堀。
右の切岸の上が主郭です。

二郭の東端に設けられた枡形土塁。

二郭の門付近の土塁上に立つ畠山重忠像。

主郭の虎口。

主郭。
畠山重忠の居住した時代の菅谷館はこの主郭のみだったと考えられます。

主郭の東・北・西を取り囲む土塁。

城の北端に設けられた搦手門。

三郭。

三郭に建つ埼玉県立嵐山史跡の博物館。
博物館の前には発掘調査で見つかった建物跡と井戸跡が示されています。

博物館前には菅谷館の立体模型が設置されています。

三郭西端の正站門付近に設けられた蔀土塁。
西郭から三郭の様子を伺えないように造られたものです。

三郭と西郭の間にかけられた復元木橋。

西郭。
ほかの曲輪と違い、傾斜がついています。

菅谷館の南を流れる都幾川。

都幾川北岸の平地に築かれた平城です。菅谷「館」と呼ばれていますが、館であったのは畠山重忠の時代で、戦国時代には城と呼んでも良い規模に改修されています。