難波田城

  • 読み:なんばだじょう
  • 別名:難波田氏館、南畑城
  • 所在地:埼玉県富士見市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:難波田氏、上田氏
  • 文化財指定:埼玉県指定旧跡(昭和36年9月1日)
  • 訪問日:平成25年3月11日

難波田城は、荒川と新河岸川に挟まれた平地に築かれた城です。鎌倉時代に武蔵七党村山党出身の金子高範がこの地に移って難波田氏を称し居を構えたのが始まりとされています。当時は現在よりも規模の小さな館程度のものと考えられていますが、その規模は具体的にはわかっていません。戦国時代、難波田氏は扇谷上杉氏に仕えていましたが、天文14年(1545)の河越夜戦で難波田憲重は討死し、難波田城には北条方の上田氏が入りました。この頃に、難波田城は大改修を受けたと考えられています。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐では、ほかの北条氏の諸城と同じく豊臣方の大軍に攻められ降伏、開城。難波田城はその後廃城となりました。

難波田氏館跡の碑が立つ主郭。
主郭は写真奥の宅地方向に広がっていました。

主郭の南に設けられた馬出曲輪。

馬出曲輪の東に架かる木橋(復元)。
橋の幅は内側が2間、外側が3間で、攻め出しやすく攻め入りづらい構造になっています。

馬出曲輪を取り囲む堀を東側から見たところ。

食い違い虎口。

馬出曲輪を取り囲む堀を南側から見たところ。

模擬大手門。

荒川西岸、新河岸川東岸の平地に築かれた城です。往時は周囲を湿地が取り囲む水城であったようです。現在は難波田城公園として整備されています。