松山城

  • 読み:まつやまじょう
  • 別名:勝山城、金亀城
  • 所在地:愛媛県松山市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:加藤氏、蒲生氏、久松松平氏、
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和27年3月29日)
  • 訪問日:平成26年2月6日

松山城は、道後平野に聳える独立峰・勝山に築かれた平山城です。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍に属しその戦功を認められ20万国に加増された伊予正木城の加藤嘉明が、慶長7年(1602)から新たな居城として築城を始めました。このころの天守は五重であったといいます。寛永4年(1627)、松山城の完成直前に嘉明は会津へ転封となり、代わって蒲生忠知が松山に入封します。しかし、忠知は寛永11年(1634)8月に参勤交代の途中で死去。忠知に後継ぎはなく、蒲生家は断絶します。翌寛永12年、松平定行が15万石で松山に入封。寛永19年(1642)には、五重だった天守を三重に改築しています。この天守は天明4年(1784)に落雷により焼失してしまいますが、安政元年(1854)に再建されています。幕末、松山藩は幕府側に与したため、慶応4年(1868)の戊辰戦争では朝敵として追討され、1月27日に戦わずして松山城を土佐藩に開城しています。

明治になると本丸一帯は公園として整備され、山麓の二の丸・三の丸には松山歩兵第22連隊が置かれました。大正12年(1923)、本丸が旧藩主の久松家への払い下げを経由して松山市へ寄贈されます。その後、昭和に入ると小天守や櫓などが放火や空襲などにより焼失しますが、昭和41年(1976)から木造による復元が進められました。平成4年(1992)には二の丸の庭園が復元整備されています。

ロープウェー東雲口駅付近の石垣。

ロープウェーを降りたところにある長者ヶ平。

長者ヶ平から本丸へと向かう坂道。

下から見上げる巽櫓。
空襲で焼失したものを再建したものです。

大手門付近から太鼓櫓を見たところ。奥には連立天守が見えます。

二の丸から大手門へ登ってくるところ。

二の丸側から見た大手門。

戸無門。創建当初から門扉がないため戸無門と呼ばれています。

戸無門をくぐり180度向きを変えると現れる筒井門(戦後の放火により焼失、再建)。
この時は修復工事中でした。

筒井門をくぐったところから見る太鼓門(空襲により焼失、再建)。

筒井門をくぐったところから見る太鼓櫓(空襲により焼失、再建)。

太鼓門をくぐったところから見る太鼓櫓。

太鼓櫓付近から見る本丸。
奥に連立天守、左の木に隠れて馬具櫓(空襲により焼失、再建)が見えます。

馬具櫓付近から西麓を見下ろすと、二の丸が見えます。

二の丸の土塁。
本丸からでもわかるほど巨大なものです。

西麓遠望。
松山市街の向こうに伊予灘が見えます。

太鼓門付近の井戸。
深さは40メートル以上あります。

馬具櫓付近から見る乾櫓。

南から見た連立天守
連立天守は本丸より8メートルほど高くなった本壇の上に築かれています。
中央に三重の大天守(現存)、左に小天守(戦前の放火により焼失、再建)、中央手前に一ノ門南櫓(現存)、右に二ノ門南櫓(現存)が見えます。

東から見た連立天守の天神櫓(空襲により焼失、再建)。

本丸北東端に設けられた艮門(空襲により焼失、再建)。

連立天守の北側。

北から見た連立天守北隅櫓(戦前の放火により焼失、再建)。
奥には野原櫓(現存)が見えます。

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本丸の北西に設けられた野原櫓。
加藤嘉明の築城当初の仕様がほぼそのまま残る櫓です。

西から見た連立天守10軒廊下と南隅櫓(いずれも戦前の放火により焼失、再建)。

本丸北東端に設けられた乾門(空襲により焼失、再建)と乾櫓(現存)。

乾門の外から見る乾櫓。

古町口登城道から見る乾門と連立天守。

古町口登城道から見る野原櫓。

北西麓へ続く古町口登城道。

連立天守の南に設けられた紫竹門(現存)。
奥には連立天守の南隅櫓、多門櫓(戦前の放火により焼失、再建)、小天守の下半分が見えます。

本壇

。三ノ門南櫓(現存)と一ノ門南櫓の間に設けられた一ノ門(現存)。

一ノ門をくぐるり北に90度曲がると現れる二ノ門(現存)。
三ノ門南櫓と二ノ門南櫓の間に設けられています。

二ノ門をくぐるって180度振り返ると二ノ門(左奥)と三ノ門(右、現存)が見えます。
三ノ門南櫓と二ノ門南櫓の間に設けられています。

三ノ門をくぐって90度西に曲がると筋鉄門(戦前の放火により焼失、再建)が現れます。
大天守と小天守の間に設けられています。

筋鉄門をくぐって90度北に曲がると内門(戦前の放火により焼失、再建)が見えます。

北隅櫓の脇に設けられた玄関。

連立天守内部への入口。

連立天守の内部に設けられた石落とし。

連立天守の内部には鉄砲狭間も多数設けられています。

天守内部。
床の間が設けられています。

畳が敷かれている場所もあります。

連立天守内部の階段。

大天守最上階。

小天守から見た本丸。

小天守から見た二の丸の堀。

松山市街のほぼ中央、愛媛県庁の背後に聳える勝山に築かれた平山城です。天守は現存十二天守の中では最も新しい安政元年(1854)のものです。日本100名城に選定されています。