館林城

  • 読み:たてばやしじょう
  • 別名:尾曳城
  • 所在地:群馬県館林市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:赤井氏、足利長尾氏、北条氏、榊原氏、徳川氏、秋元氏
  • 文化財指定:館林市指定史跡(昭和48年4月1日)
  • 訪問日:平成26年8月15日

館林城は、利根川と渡良瀬川に挟まれた平地の城沼の畔に築かれた平城です。築城年代は諸説ありますが、享禄3年(1530)に赤井照光によって築かれたとされ、この時狐が尾で地面に線を引いて城の縄張を教えてくれたという伝説から、別名尾曳城と呼ばれています。永禄5年(1562)、上杉謙信が関東へ出征すると、赤井氏は戦うことなく降伏して武蔵忍城へ退き、館林城には足利長尾氏が入りました。天正16年(1588)には北条氏に奪われますが、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐では石田三成、大谷吉継らの軍勢に囲まれ開城しています。

北条氏滅亡後に徳川家康が関東へ移封されると、徳川四天王の一人・榊原康政が10万石で館林に入り、城下町を整備しました。寛文元年(1661)には徳川綱吉が25万石で入城。綱吉は延宝8年(1680)に江戸幕府5代将軍となり、館林城は将軍を輩出した城として知られるようになります。その後、井上氏、秋元氏らが城主となり、秋元氏の時代に明治5年(1872)の廃藩置県を迎えます。残った城の建物は明治7年(1874)に起きた大火でほとんどが消失しましたが、現在も土塁の一部が残っています。

三の丸に設けられた土橋門(復元)。

土橋門を裏側から。
現存土塁の上に塀が復元されています。

三の丸と外郭を隔てていた千貫門跡。

僅かに残る本丸土塁。

本丸土塁の脇に残る井戸の跡。

本丸の南に設けられた八幡郭。

本丸と八幡郭を隔てる土塁。
矢来門は専修院東門に移築され現存しています。

本丸内に鎮座する八幡宮。
元は八幡郭にありましたが、明治の終わり頃に本丸へ遷されました。

八幡宮の背後、八幡曲輪に建つ旧秋元別邸。
明治維新後に子爵となった秋元氏の別邸です。

かつて館林城を取り囲んでいた城沼。
現在は城域内の池は大部分が埋められています。

城域の北東に設けられた尾曳郭に鎮座する尾曳稲荷神社。

城沼の畔に築かれた平城です。5代将軍徳川綱吉を輩出した城として知られています。建物は殆ど残っていませんが、一部に土塁が見られます。