足利氏館

  • 読み:あしかがしやかた
  • 別名:-
  • 所在地:栃木県足利市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:足利氏
  • 文化財指定:国指定史跡(大正11年3月8日)
  • 訪問日:平成26年9月5日

足利氏館は、渡良瀬川北岸の平地に築かれた単郭式の城館です。12世紀の半ばに源義国とその子・義康(足利氏の祖)の二代に渡り土塁と堀を築いて居を構えたのが始まりとされています。建久7年(1196)には義康の子・義兼が僧の理真を招聘し、邸宅を撤去して持仏堂と堀内御堂を建立しました。これが鑁阿寺の始まりです。文暦元年(1234)には足利義氏が伽藍を整備し、鑁阿寺は足利氏の氏寺となりました。

南側の虎口に設けられた仁王門(県文化財)。
義兼が建てた仁王門は室町時代に消失し、永禄7年(1564)に再建されています。

居館を取り囲む堀を仁王門から見たところ。

仁王門の虎口付近の土塁。

上の写真の土塁より少し離れたところの土塁。

鑁阿寺境内。
奥に建つのは正安元年(1299)に建てられた本堂(国宝)です。

鐘楼(国重要文化財)。

多宝塔(県文化財)。元禄5年(1692)に徳川綱吉の母・桂昌院が再建しています。

御霊屋(県文化財)。足利大権現と称し、本殿に源氏の祖を祀り、拝殿には足利将軍15代の像が祀られています。
現在の御霊屋は江戸時代に11代将軍家斉の寄進によって再建されたものです。

一切経堂(国重要文化財)。応永14年(1407)に関東管領足利満兼によって再建されたものです。

北門(薬医門)

西門(県文化財)。反対側の東門共々、開基義兼の創建ですが、永享4年(1432)に公文所奉行による再修を受けています。

東門(県文化財)。

居館付近に建つ足利尊氏像。
当の尊氏は幼少の頃より鎌倉で育ち、本領である足利を訪れることは一度もなかったといいます。

足利学校の北東端から仁王門付近を見たところ。

足利氏館の南東に設けられた坂東の大学・足利学校。

渡良瀬川北岸の平地に築かれた城館です。城館として機能したのは義国・義康・義兼の3代の間だけで、それ以降は鑁阿寺となっています。日本100名城。