2016年1月アーカイブ

  • 読み:こがじょう
  • 別名:-
  • 所在地:茨城県古河市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:下河辺氏、足利氏(古河公方)、小笠原氏、土井氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成26年9月5日

古河城は、渡良瀬川東岸の平地に築かれた平城です。平安時代から鎌倉時代にこの地を支配していた下河辺氏が館を築いたのが始まりとされています。南北朝時代の小山義政の乱の時には「古河御陣」として史料に登場しています。享禄3年(1454)12月、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害し享徳の乱が勃発。成氏は武蔵府中を本陣に上杉勢と戦いますが、この隙を突いて幕府の命を受けた今川範忠が鎌倉を占領。成氏は本拠を古河の鴻巣御所(古河公方館)へ移し、後に古河城に入っています。古河公方は古河を拠点に結城氏、小山氏、千葉氏などの支持を受けて山内上杉氏、扇谷上杉氏と対立しますが、北条氏が関東へ進出してくると次第にその支配に飲み込まれていきました。

天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、古河城は一旦破却されますが、徳川家康が関東に入封するとその配下の小笠原秀政が古河城に入っています。慶長6年(1601)には松平康長が古河城に入り、近世城郭へ改修。その後、小笠原氏、奥平氏、永井氏と城主は変わり、寛永10年(1633)に古河へ入った土井氏によって日光街道と水運の要衝として古河城と城下町が整備されました。その後も幕府の重臣が代わる代わる城主を務め、宝暦12年(1762)に再び土井氏が入り、廃藩置県まで古河藩主を務めました。大正年間には渡良瀬川の大改修により本丸周辺は渡良瀬川の河川敷の下に消えています。

現在は古河歴史博物館が建つ諏訪郭周囲の土塁と堀。

博物館の入口に建つ諏訪郭の碑。

博物館裏手の諏訪郭の土塁。

船渡門付近の土塁上に鎮座する頼政神社。
元は立崎郭に鎮座していましたが、渡良瀬川の改修で現在地に遷されています。
鵺退治で知られる源頼政を祀る神社で、鵺退治の様子を描いた絵馬が奉納されています(絵馬のレプリカを古河歴史博物館で見ることができます)。

渡良瀬川の堤防の近くに建つ船渡門跡の碑。

住宅地の真っ只中に建つ追手門跡の碑。

渡良瀬川東岸の平地に築かれた平城です。中世には古河公方の本拠として栄え、近世には江戸幕府の重臣たちが城主を務めました。渡良瀬川の改修により本丸周辺の主要部は河川敷の下になっています。