2016年3月アーカイブ

  • 読み:こがくぼうやかた
  • 別名:鴻巣御所
  • 所在地:茨城県古河市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:足利氏(古河公方)
  • 文化財指定:茨城県指定文化財(昭和8年7月18日)
  • 訪問日:平成26年9月5日

古河公方館は、渡良瀬川東岸の平地の御所池に突き出した岬に築かれた城館です。享禄3年(1454)12月、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害し享徳の乱が勃発。成氏は武蔵府中を本陣に上杉勢と戦いますが、この隙を突いて幕府の命を受けた今川範忠が鎌倉を占領。鎌倉を追われた成氏は康正元年(1455)に古河へ移ります。この時築いた館が古河公方館で、成氏はここにしばらく滞在し、長禄元年(1457)頃に下河辺氏の居館であった古河城を改修してそちらへ移っています。

御所沼に突き出した岬。
この岬上に古河公方館が築かれました。

岬への入り口に立つ古河公方館址の碑。
この辺りが館の虎口と思われます。

岬を断ち切る堀切。
往時はもっと深かったものと思われます。

現在は雑木林となっている館址。

岬の突端部から館跡を見たところ。

渡良瀬川東岸の御所池に突き出した岬に築かれた城館です。古河公方足利成氏が一時ここを拠点としましたが、すぐに古河城へ移っています。現在は古河総合公園の一部になっています。

  • 読み:せきやどじょう
  • 別名:-
  • 所在地:千葉県野田市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:簗田氏、北条氏、松平氏、小笠原氏、牧野氏、久世氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成26年9月5日

関宿城は、利根川と江戸川が分流する地の南東に築かれた平城です。当時は利根川が江戸湾へ注ぎ込んでいたので、利根川東岸にあたります。長禄元年(1457)頃に梁田満助あるいは梁田成助によって築かれたのが始まりとされています。その後6代に渡って簗田氏の居城となりました。北条氏が関東へ進出してくると、簗田氏は上杉謙信と佐竹義重の援助を受けて関宿城を守りますが、3度に渡り北条氏の攻撃を受けて落城。関宿城は北条氏のものとなり、北条氏の北関東進出の拠点となりました。

天正18年(1590)の小田原征伐では、ほかの北条氏の城と同様に豊臣方の手に落ちます。北条氏が滅亡すると関東には徳川家康が入り、家康の実弟の松平康元が2万石で関宿に入ります。その後、小笠原氏、牧野氏、久世氏が関宿藩主を務め、久世氏の時に廃藩置県を迎えています。明治になると一時陸軍の所管となりますが、明治8年(1875)に政府の所管となると関宿城は破却されました。その後、江戸川の河川改修と圃場整備により遺構はほぼすべて失われました。

利根川と江戸川の分流地点に建つ千葉県立関宿城博物館。
関宿城に造られた御三階櫓をモデルにしていますが、この場所は関宿城とは少し離れた場所になります。

本丸跡に建つ関宿城址の碑。
城があったことを伝えるのはこの碑だけとなっています。

本丸跡付近から見る関宿城博物館の模擬御三階櫓。

城域の西を流れる古江戸川。

江戸川の始まる関宿水門の東に築かれた城です。譜代大名が城主を務め、江戸城富士見櫓を模した御三階櫓の建つ城でしたが、その遺構は河川改修により失われています。

  • 読み:いまいじょう
  • 別名:-
  • 所在地:東京都港区(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:今井氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成26年9月14日

今井城は、現在の地下鉄赤坂駅と六本木駅のほぼ中間にある丘に築かれた城です。平安時代末期に木曽義仲四天王の今井兼平によって築かれたと伝えられていますが、今井兼平が築城したという証拠はなく、戦国時代にこの辺りに所領を持っていた太田氏や牛込氏による築城とも考えられています。元禄年間(1688~1704)には、播磨赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室・阿久里の実家である備後三次藩浅野氏が下屋敷を構えていました。三次藩は享保3年(1718)に断絶となり、享保15年(1730)に赤坂氷川神社が現在の地に遷座し、今に至っています。

東側から赤坂氷川神社の社殿方面を見たところ。
周囲よりも高くなっています。

氷川神社境内の浅野土佐守邸跡。

氷川神社の桜門。

150mほど北西には勝海舟邸跡があります。

現在、赤坂氷川神社の鎮座する丘に築かれた城です。今井兼平が築城したと言われますが、確固たる証拠はありません。