聚楽第

  • 読み:じゅらくてい、じゅらくだい、じゅらくやしき
  • 別名:聚楽亭、聚楽邸、聚楽城、聚楽館
  • 所在地:京都府京都市上京区・中京区(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:豊臣氏
  • 文化財指定:-
  • 訪問日:平成26年10月11日

聚楽第は京都の西陣、平安宮跡周辺に築かれた邸宅です。関白になった豊臣秀吉は、その邸宅兼政庁として天正14年(1586)2月より聚楽第の建設を始め、翌天正15年9月に完成しました。邸宅とはいえ、本丸を中心に西の丸、南二の丸、北の丸(豊臣秀次による造成)の3つの曲輪が設けられ、本丸北西隅には天守が建っていたともいいます。秀吉は九州征伐を終えると大坂城より聚楽第へ移って政務を行い、天正16年(1588)4月には107代後陽成天皇の行幸を迎えました。天正19年(1591)に秀吉が豊臣家の家督と関白職を甥の秀次に譲ると聚楽第は秀次の屋敷となり、翌天正20年に再び後陽成天皇の行幸を迎えています。文禄4年(1595)6月、秀次に謀反の疑いがかけられ、7月に秀次は高野山へ出家させられたのち切腹。翌8月、聚楽第は完成からわずか8年で破却されました。その建物の多くは、伏見城へ移築されたとされています。

聚楽第の復元図(豊臣秀勝邸跡の案内板より)。

中立売通大宮の交差点に立つ聚楽第址の碑。
おおよそ大宮通が本丸東堀の跡にあたり、この南のハローワーク西陣では建て替えの際の発掘調査で金箔瓦が約600枚が出土しています。

本丸東堀があったとされる大宮通。

聚楽第の南西に立つ豊臣秀勝邸跡の碑。

関白豊臣秀吉の邸宅兼政庁として築かれた城館です。完成からわずか8年で破却され、遺構はほとんど残っていません。