平安宮

  • 読み:へいあんきゅう、たいらのみや
  • 別名:大内裏、平安城
  • 所在地:京都府京都市上京区・中京区(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:天皇家
  • 文化財指定:国指定史跡(豊楽院跡)(平成2年2月22日、平成20年7月28日清暑堂跡及び北廊跡追加)
  • 訪問日:平成26年10月11日

平安宮は、延暦13年(794)に50代桓武天皇によってそれまでの都であった長岡京から遷都された平安京の北端に置かれた宮殿です。大きさは南北約1.4キロメートル、東西約1.2キロメートルで、周囲は大垣で囲まれ、南面中央の朱雀門を始め14の門が設けられていました。度重なる政変や失火により度々焼失し、安貞元年(1227)に平安宮のほとんどが焼失すると以後再建されることはなく、荒野となっていきました。その後は里内裏を皇居とし、南北朝合一の明徳3年(1392)からは京都御所が正式な皇居となっています。

明治28年(1895)の平安遷都1100年を記念した内国勧業博覧会では、大内裏の一部復元が計画されましたが、用地交渉に失敗。岡崎に8分の5の規模で復元され、現在の平安神宮となっています。

平安宮の復元図(中務省東面築地跡の案内板より)を加工したもの。
オレンジの線が現在の道路です。南東部は後の二条城になっています。

内国勧業博覧会で岡崎に8分の5の規模で一部復元された大内裏。
現在の平安神宮です。

内裏内郭回廊跡。
この辺りは内裏の南西隅でした。

内裏承香殿跡の碑。

中務省東面築地跡。
築地の跡が色の違うタイルで平面復元されています。

千本丸太町にあった朝堂院の跡。
国家的な儀式や政務の場でした。

大極殿跡の碑。
実際の太極殿は千本丸太町の交差点付近に建っていました。

朝堂院の西側にあった豊楽院の跡。
天皇の饗宴の場でした。

豊楽院北廊跡。

平安京の北端に設けられた宮殿です。81代安徳天皇の時に都は一時福原へ遷されましたがすぐに平安京へ戻されています。現在は市街地となり、建物は残っていません。