台北城

  • 読み:たいぺいじょう、Táiběi chéng
  • 別名:台北府城
  • 所在地:中華民国台北市中正区(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:清朝
  • 文化財指定:中華民国一級古蹟(城門)
  • 訪問日:平成27年2月1日

台北城は、台湾北部を流れる淡水河東岸の平地に築かれた城郭です。1871年の日本の台湾出兵によって琉球への宗主権を失った清朝は、日本の台湾への進出を危惧。その前線として1879年に台北城の建設計画が出され、1882年に着工、1884年に完成しました。城郭の完成後、城内には文廟や武廟、聖王廟、城隍廟、天后宮、淡水庁、台北府などの建物が次々と建てられ、台北が台湾の政治・宗教の中心となっていきます。

日清戦争(1894-95)の結果、台湾が日本に割譲されると、台北には台湾総督府が置かれました。街区整理と縦貫道路建設のため、台湾総督府により北門、小南門、南門、東門の4つの門を残しほぼ城壁のすべてが撤去され、城壁跡は大通りとなり、現在に至っています。

北面の城壁が建っていた中高西路一段。
奥が西になります。

台北城の北西隅に建つ北門(承恩門)。
往時の姿を留める唯一の城門です。

西門(寶成門)跡付近に建つ模擬城壁。
台北捷運西門駅へのエレベータの入口になっています。

西門跡に立つ寶成門舊址の碑。
西門は1900年に撤去されています。

西面の城壁が建っていた中華路一段を西門跡付近から見たところ。
奥が北門方面です。

城域の南西端から見た中華路一段。

南面城壁跡の愛国西路と延平南路の交点に建つ南門(麗正門)。
第二次世界大戦後に現在の姿に変えられています。

。南面城壁跡の愛国西路と公園路の交点に建つ小南門(重熙門)。
こちらも第二次世界大戦後に現在の姿に変えられています。

城域の南東端から東面城壁の建っていた中山南路を見たところ。

中山南路から見る自由広場。

当面城壁跡の中山南路と信義路の交点に建つ東門(景福門)。
港町の基隆へと至る門であることから重要視されていました。
こちらも第二次世界大戦後に現在の姿に変えられています。

淡水河東岸の平地に築かれた城郭です。現在の中高西路一段、中華路一段、愛国西路、中山南路に囲まれた範囲が城郭でした。4つの門が残る以外、城壁はほぼすべて撤去されています。