淡水紅毛城

  • 読み:たんすいこうもうじょう、Dànshuǐ hóng máo chéng
  • 別名:サン・ドミンゴ要塞(聖多明哥城)、アントニー要塞(安東尼堡)
  • 所在地:中華民国新北市淡水区(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:スペイン人勢力、オランダ人勢力、鄭氏、清朝
  • 文化財指定:中華民国一級古蹟
  • 訪問日:平成27年2月2日

淡水紅毛城は、台湾北部を流れる淡水河の河口北岸に築かれた要塞で、1628年に台湾北部に勢力を伸ばしたスペイン人によって築かれたサン・ドミンゴ要塞が始まりとされています。1642年、台湾南部に勢力を張っていたオランダ人が北部へ勢力を広げ、スペイン人勢力は台湾から完全に駆逐されました。その後、要塞は改修され、1646年にアントニー要塞として完成しました。現在見られる淡水紅毛城は、大部分がこの時に築かれたものです。当時、漢人はオランダ人を「紅毛」と呼んでいたことから、アントニー要塞は「紅毛城」とも呼ばれました。

1662年、明の軍人・鄭成功がオランダ人を台湾から駆逐すると、紅毛城は淡水防衛のために修理されました。鄭成功は台湾を拠点に大陸を支配する清への抵抗を試みますが、6月に死去。抵抗運動は息子の鄭経に引き継がれました。1683年に鄭氏政権が清へ帰順すると、その後しばらく放棄されていましたが、淡水庁により修理され統治拠点として利用されることもありました。

1851年に北京条約によって淡水が開港されると、1867年に清朝とイギリス政府との間で紅毛城の永久租借協定が締結され、紅毛城はイギリス領事館となります。1895年に台湾が日本へ割譲されると、改めて日本政府との間に租借協定が結ばれています。第二次世界大戦中は日本に接収されましたが、戦後再びイギリス領事館となり、1972年に台湾とイギリスが断交するとイギリス領事が撤退。その後之管理はオーストラリア大使館が、豪台断交の後はアメリカ大使館が、米台断交後はアメリカ在台協会が行っています。1980年、紅毛城は台湾へ返還され、現在に至っています。

中正路と真理路の交差点から見る淡水紅毛城。
月曜日は休館日で門は固く閉ざされていました。

交差点から要塞の一部が見えます。

淡水河河口北岸の高台に築かれた要塞です。月曜日休館。