金沢城

  • 読み:かなざわじょう
  • 別名:尾山城、尾上城、金城
  • 所在地:石川県金沢市(Mapionで位置を確認)
  • 主要城主:佐久間氏、前田氏
  • 文化財指定:国指定史跡(平成20年6月17日)
  • 訪問日:平成27年7月19日

金沢城は、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端部に築かれた平山城です。もともとは浄土真宗の寺院である尾山御坊があり加賀一向一揆の拠点でしたが、天正8年(1580)に織田信長配下の佐久間盛政によって攻め落とされ、金沢城が築かれました。天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで盛政が羽柴秀吉に討たれると、秀吉配下の前田利家が金沢に入り、尾山城と改称します。天正15年(1587)には高山右近を呼んで大改修を行っています。この頃に名称を金沢城に戻したといわれています。文禄元年(1592)に利家の子の前田利長によって再び大改造が行われ、五重の天守が建てられました。天守は慶長7年(1602)に落雷によって焼失し、代わりに三階櫓が建てられました。延宝4年(1676)には、加賀藩4代藩主前田綱紀が、金沢城に付属する大名庭園・兼六園を築いています。明治以降は陸軍歩兵第7連隊、陸軍第9師団が置かれ、一部を残して建物は撤去され、第二次世界大戦後は金沢大学が置かれました。金沢大学は平成7年(1995)に移転し、以後は金沢城公園として整備されています。

金沢城全体図(城址公園の案内図を加工したもの)。
上が北になります。

本丸の南東に設けられた辰巳櫓の石垣と、その下に設けられた鯉喉櫓台。

鯉喉櫓台付近から見るいもり堀。
明治以降埋められていましたが、平成22年(2010)に復元されました。

城の東に設けられた百間堀。
左が金沢城、右が兼六園です。

百間堀の石垣には刻印が見られます。

百間堀から見上げる本丸丑寅櫓の石垣。

百間堀から見上げる石川門(現存)。
国の重要文化財に指定されています。

百間堀に面した設けられた門。

石川橋の下に立つ前田利家像。

城の北口にあたる大手門。

大手門から見た大手堀。
金沢城で唯一往時の姿を留める堀です。

大手門の枡形。

大手門を入ると新丸が設けられています。

大手門付近から菱櫓、河北門を見たところ。

平成22年(2010)に復元された河北門。

三の丸の東に設けられた石川門。

石川橋から本丸丑寅櫓方面を見たところ。

三の丸。
奥には菱櫓、五十間長屋、橋爪門が建てられています。

河北門と五十間長屋。

橋爪門と橋爪門続櫓。
平成13年(2001)に復元されました。

石川門の内部。

菱櫓と五十間長屋。
平成13年(2001)に復元されました。

橋爪門付近から河北門を見たところ。

菱櫓と五十間長屋を二の丸側から見たところ。

二の丸と本丸下の曲輪にかかる極楽橋。
橋の向こうの階段の上に三十間長屋が見えます。

本丸下の曲輪に建つ三十間長屋(現存)。
国の重要文化財に指定されています。

本丸下の曲輪から本丸へと続く門。

本丸は三階櫓の焼失後に放置され森が広がっています。

本丸戌亥櫓跡。

本丸丑寅櫓付近から橋爪門、五十間長屋、菱櫓を見たところ。

鶴丸倉庫(現存)。
国の重要文化財に指定されています。

犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端部に築かれた平山城です。加賀藩前田氏の居城でした。日本100名城。