福島城

  • 読み:ふくしまじょう
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県上越市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:堀氏、松平氏(長沢)
  • 文化財指定:-

福島城は、関川河口東岸の平地に築かれた平城で、慶長年間(1596~1615)に堀氏によって築かれた。慶長3年(1598)、上杉景勝が会津へ移封となると、空いた春日山城には堀秀治が入った。秀治は行政に便のいい海辺の平野部に新たな居城・福島城の造営を始め、秀治の子・忠俊の代の慶長12年(1607)に完成した。完成した城は本丸を二重の堀が取り囲み、さらに西の関川と東の保倉川、北の日本海を天然の堀としたものであった。

慶長15年(1610)、御家騒動により忠俊が改易となり、徳川家康の六男の松平忠輝が福島城へ入る。しかし、4年後の慶長19年(1613)には高田城を築いて移転。福島城は廃城となった。廃城の理由は明らかになっていないが、海と河川が近すぎ水害が絶えなかったためと考えられている。現在は市街化が進み、遺構はほとんど見られないが、旧古城小学校の敷地に福島城の石材を使った城址碑が建てられている。

福島城縄張図(現地案内板より)。
本丸の周囲を二重の堀が取り囲み、さらに関川、保倉川、日本海を天然の堀としていた。

本丸があったと考えられている旧古城小学校に立つ福島城址の碑。
碑壇の石垣は、福島城に使われていた石材が使われている。

城域の南の堀は、現在では付け替えられた保倉川になっている。

訪城:平成21年7月24日

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