平井城

  • 読み:ひらいじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県藤岡市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:山内上杉氏、北条氏、長尾→上杉氏
  • 文化財指定:群馬県指定史跡(平成11年4月30日)

平井城は、鮎川西岸の崖上の平地に築かれた平城である。永享10年(1438)に鎌倉公方足利持氏との確執により身の危険を感じた関東管領上杉憲定がこの地に移り築城したのが始まりとされている。その後、文正元年(1466)に関東管領となった上杉顕定が平井城を拡張したとされている。

天文21年(1552)、北条氏康によって攻められ落城。すでに上州の国衆の支持を失っていた関東管領上杉憲定は、越後国の春日山城の長尾景虎を頼って逃げ延びていった。永禄3年(1560)に長尾景虎によって奪回されたが、景虎は同年に関東における拠点を厩橋城(後の前橋城)に移したため廃城となった。

現在は宅地化・農地化が進み遺構はわずかであるが、土塁や堀が復元されるなど城址公園の整備が進められている。

平井城縄張図(現地案内板より)
ほぼ五角形の本丸の西に二の丸、北に三の丸を配置している。

本丸西端に復元された土塁。
奥に見える山には詰城である平井金山城が築かれた。

本丸西端の土塁上から北側を眺めたところ。
宅地化が進み遺構は見られない。

本丸西端の土塁上から西側を眺めたところ。
道路のあたりに二の丸との間の堀が設けられていたとみられる。
道路の向こうの農地には土塁の痕跡が見られる。

土塁の上から本丸の南側を見たところ。
北西を頂点とするほぼ五角形の曲輪であった。

土塁の上から本丸の北側を見たところ。

平井城の東を流れる鮎川。
東側は崖になっているためこちらから攻めるのは不可能である。

復元された本丸東側の曲輪。
土橋も復元されている。

本丸東の堀とそこに架かる橋も復元されている。

復元された竪堀。
この先は鮎川の断崖となっている。

訪城:平成20年12月16日

群馬 上野