長岡城

  • 読み:ながおかじょう
  • 別名:-
  • 所在地:新潟県長岡市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:堀氏、牧野氏
  • 文化財指定:-

長岡城は、信濃川東岸の平野に築かれた平城で、元和2年(1616)に堀直寄によってそれまでの居城の蔵王堂城に代わって築かれた。信濃川と栖吉川によって囲まれ、さらに東側より水を引いて堀をめぐらし、「八文字の浮島城」とも呼ばれた。直寄は2年後の元和4年(1618)に下越の村上城へ移され、長岡城には牧野忠成が入った。牧野氏は明治まで長岡藩主を務めている。明治元年(1868)の戊辰戦争では、長岡藩は奥羽越列藩同盟に属し、北越戦争で長岡城の大部分が焼失。残った建物も士族の救済や小学校の運営費用に充てるため売却された。

現在の長岡城は完全に市街化し、遺構はまったく見られない。本丸のあった長岡駅の駅前と二の丸のあったアオーレ長岡にそれぞれ石碑が残るのみとなっている。

長岡駅前に建つ長岡城本丸跡の碑。
本丸は長岡駅を中心とするあたりにあった。

アオーレ長岡前に建つ長岡城二の丸跡の碑。
長岡城の存在を伝えるものは本丸跡と二の丸跡の碑のみとなっている。

長岡駅前の地下道入口に掲げられた元旦年賀登城の図。
水濠がめぐらされ、三重櫓が建てられていたことがわかる。

訪城:令和6年4月21日

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