有賀城
- 読み:あるがじょう
- 別名:天狗山城
- 所在地:長野県諏訪市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:有賀氏、原氏、千野氏
- 文化財指定:-
有賀城は、諏訪と伊那谷を結ぶ交通の要衝である有賀峠の登り口に築かれた城で、その築城年代ははっきりとしていないが、諏訪氏の氏族の有賀氏が承久年代(1219~1222)にこの地に入り、その後築かれたものと考えられている。
戦国時代、有賀氏は諏訪氏に属し、天文17年(1548)に諏訪氏が滅亡した後も武田氏と争うが敗退し、この地を追放された。有賀城には武田氏配下の原美濃守虎胤が入城。その後千野靭負尉へと引き継がれた。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの功により諏訪頼水が旧領諏訪を回復し高島城に入城すると、その重臣であった千野丹波守房清が有賀城に入城し、麓に居館を築いている。
有賀城縄張図(現地案内板より)。下が北。
主郭から五郭までが直線的に並び、主郭の背後には大規模な堀切が設けられている。
北東麓の江音寺の墓地から登っていく登城口。
模擬冠木門が設けられている。
模擬冠木門から10分ほど登っていくと、主格背後の大堀切が姿を現す。
主郭。
奥に二段の石垣が設けられているが、土塁上に秋葉権現の碑があり、その祭祀の必要上設けらた可能性もあり、城の遺構と即断することは難しいとのこと。
主郭からの諏訪湖の眺め。
主郭北端から二郭を見下ろしたところ。
二郭背後には巨大な土塁と堀切が設けられている。
上の写真を西から見たところ。
奥の土塁の向こうに二郭がある。
二郭北端から南側を見たところ。
土塁の向こうに堀切があり、さらにその奥に主郭の切岸が見える。
三郭北端から南側を見たところ。
奥の切岸の上は二郭。
四郭北端から南側を見たところ。
奥の切岸の上は三郭。
切岸の中ほどには小さな段が設けられている。
五郭北端から南側を見たところ。
奥の切岸の上は四郭。
二郭から五郭の西側には道のようなものが設けられているが、この下には有賀峠への街道もあることから、街道を意識した堀切とも考えられる。
城の北東麓の江音寺の墓地の下にある丹波屋敷。
慶長6年(1601)にこの地に入った千野丹波守房清の屋敷跡。
訪城:平成21年5月9日
長野 信濃