足利氏館
- 読み:あしかがしやかた
- 別名:-
- 所在地:栃木県足利市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:足利氏
- 文化財指定:国指定史跡(大正11年3月8日)
- 日本100名城(16番)
足利氏館は渡良瀬川北岸の平地に築かれた館である。平安時代から鎌倉時代初頭に足利氏初代の足利義康とその子の足利義兼によって築かれたのが始まりとされる。
義兼は館内に持仏堂を建立し、これが鑁阿寺の始まりとなった。文暦元年(1234)には義兼の三男の義氏が伽藍を整備し、以後、鑁阿寺は足利氏の菩提寺となった。時代が下り尊氏が室町幕府を開くと鑁阿寺は足利氏発祥の地、また足利氏の菩提寺として厚い保護を受けた。江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜っている。明治になると朱印地は配され一時衰退するが、次第に復興し現在に至っている。
周囲を土塁と堀で囲まれた典型的な中世の方形居館の形を現代に伝えている。
足利氏館縄張図(現地案内板より)
ほぼ真四角で典型的な方形居館の姿をしている。
山門の南60メートルほどのところに建つ足利尊氏像。
山門と太鼓橋(栃木県指定有形文化財)。
室町幕府13代将軍足利義輝による再建。
館の周囲を取り囲む堀と土塁。
館内から見た土塁。
西門(栃木県指定有形文化財)。
永享4年(1432)に公文書奉行によって再建された。
北門(足利市指定文化財)。
弘化2年(1845)の再建。
東門(栃木県指定有形文化財)。
西門とともに再建された。
館の中央に建つ本堂(国宝)。
正安元年(1299)に足利貞氏によって再建された。
本堂の西に建つ不動堂(足利市指定文化財)。
文禄元年(1592)に再建された。
鐘楼(国指定重要文化財)。
再建時期はわかっていない。
多宝塔(栃木県指定文化財)。
元禄5年(1692年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院によって再建された。
御霊屋(栃木県指定文化財)。
現在の建物は江戸幕府11代将軍徳川家斉によって再建され、昭和32年(1957)に境内整備のため本来の位置より北へ12間移動させられている。
本殿に源氏の祖を祀り、拝殿に足利将軍15代の像を祀る。
一切経堂(国指定重要文化財)。
応永14年(1407)に関東管領足利満兼によって再建された。
館の南東に設けられた足利学校。
平安時代もしくは鎌倉時代に創立と伝わるした日本最初の学校。
明治5年(1872)に廃校となった後は孔子廟などわずかな建物が残るのみであったが、平成2年(1990)に方丈や庭園が復元された。
訪城:平成26年9月5日
栃木 下野