福島正則屋敷
- 読み:ふくしままさのりやしき
- 別名:-
- 所在地:長野県下高井郡高山村(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:福島氏
- 文化財指定:長野県指定史跡(昭和41年3月31日)
福島正則屋敷は、千曲川東岸の支流・松川の南岸の平地に築かれた居館である。福島正則は安芸広島藩50万石を領有する大名で広島城に居城していたが、台風で崩れた広島城の石垣を幕府に無断で補修したことが武家諸法度違反に問われ、領地を没収された。元和5年(1619)6月、越後国魚沼郡2万5千石と信濃国高井郡2万石を捨扶持として与えられ、正則は高井野に居館を定め隠居し、家督を嫡男忠勝に譲る。居館は東西57間半(約104.5m)、南北40間(約72.7m)の方形で、周囲を土塁と空堀が取り囲む単郭式の質素なものであった。翌元和6年(1620)、忠勝が早逝したため、魚沼郡2万5千石は返上されている。
正則は領内の検地や利水治水工事、新田開発を行い、寛永元年(1624)7月に病死。幕府の使者の到着前に家臣が遺体を火葬にしたことからまたも武家諸法度違反に問われ、福島氏は残りの領地2万石も没収され、忠勝の弟・正利は3千石の旗本に身を落とした。正利は正則と同様に新田開発を推奨するが、寛永14年(1637)、嗣子のないまま死去し福島氏は断絶した。現在、高井野の居館跡には高井山高井寺が建っている。
長野県道54号から見た福島正則屋敷跡。
この辺りは屋敷の北西端になる。
標柱下の石垣は、安政年間(1854~60)に高井寺によって築かれたもの。
屋敷跡に建つ高井寺。
訪城:平成24年9月1日
長野 信濃