五稜郭
- 読み:ごりょうかく
- 別名:亀田役所土塁、柳野城
- 所在地:北海道函館市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:江戸幕府、箱館府、旧幕府軍
- 文化財指定:国指定特別史跡(昭和27年3月29日)
- 日本100名城(2番)
五稜郭は、亀田川東岸の平地に築かれた稜堡式城郭で、函館山の北麓にあった箱館奉行所の移転先として築かれた。箱館奉行配下で諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により西洋の城塞都市の技術を参考に設計され、安政4年(1857)から工事が始まり、工事中の元治元年(1864)に奉行所を移転して業務を開始。慶応2年(1866)に完成した。5つの稜堡を持つ星型の城郭で、当初設計では全方位に半月堡(ラヴェラン)が設けられる予定であったが、財政難のため南側の一つだけに設計変更されている。
大政奉還の後、慶応4年(1868)に新政府の箱館府が設置されると五稜郭は新政府の使用するところとなったが、明治元年(9月に改元)10月に榎本武揚率いる旧幕府軍(箱館政権)が占拠。箱館戦争における旧幕府軍の本拠となった。翌明治2年(1869)5月11日、新政府軍の総攻撃が始まり、5月18日に旧幕府軍は降伏。これにより戊辰戦争は終結した。明治4年(1871)には開拓使により城内の建物はほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されている。
五稜郭タワーに設置されている五稜郭模型。
裏門方向が北。
現在の入口は正門と裏門の2箇所だけだが、往時は北東の門のところにも橋がかかっていた。
また、現在では城外から半月堡に渡る橋は一の橋の1箇所だけだが、往時は半月堡の反対側にも橋がかかっていた。
五稜郭タワーから見た五稜郭。
五稜郭は内側の高い土塁と外側の低い土塁の二重の土塁で囲まれている。
内側の土塁は下部が石垣になっている。
五稜郭タワーから見た半月堡。
半月堡は外側に陣取る敵の攻撃力を分断するもので、敵が火砲を並べるのを阻止する役割を持つ。
当初設計では全方位に設けられる予定であったが、幕府の財政難のため南側1箇所にしか設けられなかった。
五稜郭タワーから見た箱館奉行所(復元)。
五稜郭タワー地上階に立つ土方歳三像。
旧幕府軍の陸軍奉行並を務め、明治2年(1869)5月11日に戦死した。
五稜郭跡の碑と一の橋。
二の橋側から見た半月堡。
結構な高低差がある。
半月堡先端から二の橋方向を見たところ。
半月堡と正門を結ぶ二の橋。
二の橋から見た堀。
幅は30メートルほど。
正門。
正門の石垣と土塁。
正門脇の内堀。
正門脇の門番所跡。
正門を通り抜けて土塁を内側から見たところ。
南西の稜堡。
西側の土塁上部。
北西の稜堡。
北東の稜堡。
復元された土蔵・板庫と小土塁。
近中長屋跡。
奥の建物は板蔵。
北東の橋の跡。
裏門橋。
裏門の外に設けられた役宅の跡。
16軒の役宅が設けられ、奉行以外の役人はここから奉行所へ通っていた。
平成22年(2010)に復元された箱館奉行所。
復元された奉行所の大広間。
復元された奉行所の表座敷。
復元された奉行所の中庭。
明かり取りや換気のために設けられた実用的で質素なものである。
復元された奉行所は全体の3分の1ほどであり、残りは平面復元されている。
訪城:令和6年6月29日
北海道 渡島