羽根尾城

  • 読み:はねおじょう
  • 別名:羽尾城
  • 所在地:群馬県吾妻郡長野原町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:羽尾氏、海野氏、湯本氏
  • 文化財指定:長野原町指定史跡(昭和49年9月21日)

羽根尾城は、吾妻川北岸の小高い山の上に築かれた山城で、天文年間(1532~1555)に羽尾幸全によって築城されたとされる。武田晴信(信玄)が西上州攻略を開始する以前、吾妻郡西部一帯は海野一族が支配し、羽根尾周辺は羽尾氏の勢力下にあり、羽根尾城はその本拠であった。その頃、武田氏によって海野平を追われていた真田幸綱(幸隆)が一時期羽尾幸全の元へ身を寄せている。その後、幸綱は箕輪城の長野氏の元へ身を寄せたが、旧領回復を目指し、かつての敵であった武田氏に恭順。西上州攻略の先方を任じられた。羽尾幸全は吾妻を追われ、幸全の弟海野幸光・輝幸兄弟が吾妻郡を任せられた。しかし天正9年(1581)、海野兄弟に対する誤解から真田昌幸はこれを急襲し、滅ぼした。主を失った羽根尾城には草津の湯本三郎右衛門が入城したが、やがて廃された。

主郭。

主郭土塁。

主郭と土塁を隔てた東に設けられた腰曲輪。

主郭から東側を見たところ。

主郭北側の堀切。

北側の堀切のさらに北の水の手・北方水。

主郭(右)と二郭(左)を隔てる堀切。

主郭の南西に設けられた二郭。
曲輪の中央に土塁が設けられている。

二郭の南西に設けられた三郭。

南の麓にある海野長門守の墓。
このあたりに平素の居館があったと考えられる。

訪城:平成19年8月17日・平成26年5月31日

群馬 上野