松前藩戸切地陣屋
- 読み:まつまえはんへきりちじんや
- 別名:松前陣屋、濁川陣屋、文月陣屋、穴平陣屋
- 所在地:北海道北斗市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:松前藩
- 文化財指定:国指定史跡(昭和40年3月18日)
松前藩戸切地陣屋は、戸切地川東岸の台地先端部に築かれた陣屋で、安政2年(1855)に幕府の命令で松前藩によって築かれた。4つの稜堡を持つ本陣には17棟の建物が設けられ約120人の松前藩士が勤務していた。大きく突出した東の稜堡には6基の砲座が設けられていた。明治2年(1869)、箱館戦争で旧幕府軍が進撃してきたため、10月23日に相手に利用されないように焼き払い撤退。現在は戸切地陣屋跡史跡公園として整備されている。
本陣
松前藩戸切地陣屋地形図(現地案内板より)。
十字手裏剣のような形の本陣の南東に武家屋敷。北西に弾薬庫が配置され、南西は戸切地川の断崖のアナヒラタの崖によって守られていた。
本陣縄張図(現地案内板より)。
東側の稜堡が大きく突出している。
本陣南門。
本陣を取り囲む土塁と空堀。
南門をくぐると郭内の見通しを妨げる馬隠しの土塁が設けられている。
南門付近から見た本陣郭内。
建物の跡が平面復元されている。
南の稜堡。
手前には筒入跡が平面復元されている。
備頭・目付詰所跡。
備頭、目付、監察役、書役などの上役が寝泊まりし執務していた。
諸士詰所跡。
武士、医師、取締足軽などが寝泊まりし執務していた。
足軽長屋跡。
本陣郭内には井戸が3箇所あった。
東に大きく突出した稜堡。
6基の砲座が設けられていた。
手前には大砲入が設けられていた。
本陣郭内北側は一段高くなっていて、小土塁によって区画されている。
西の稜堡。
本陣郭内北側に設けられた味噌蔵の跡。
北の稜堡にはお稲荷さんが祀られている。
北門。
北門脇の空堀。
北門をくぐったところにも馬隠しの土塁が設けられている。
弾薬庫
北門から200メートルほどのところに設けられた火薬庫の平面図(現地案内板より)。
弾薬庫全景。
土塁は保管している火薬が万が一爆発したときに被害を抑えるためのもの。
土塁を囲む堀は火薬が湿気ってしまわないように掘られた排水溝。
火薬倉庫の跡。
武家屋敷
本陣南門前から武家屋敷方向を見たところ。
武家屋敷は本陣から100メートルほど離れたところにある。
本陣と武家屋敷の間のスペースは本陣の土塁と武家屋敷の土塁とアナヒラタの崖に囲まれ、疑似馬出しの役割を果たしている。
武家屋敷跡。
通路の両側に武家屋敷が建ち並んでいた。
万延2年(1861)、松前藩は陣屋に駐屯する藩士のうち志願する者に家族を呼び寄せさせ、武家屋敷敷地内の警備と開拓(屯田)に当たらせている。
武家屋敷北側の土塁。
土塁は武家屋敷とその周囲の農地を取り囲み、擬似的な二の丸の役割を果たしていた。
訪城:令和6年6月30日
北海道 渡島