誉田城

  • 読み:こんだじょう
  • 別名:-
  • 所在地:大阪府羽曳野市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:杉原氏、畠山氏、三好氏
  • 文化財指定:-

誉田城は、北の大和川に南から流れ込む石川の西の平野に築かれた誉田御廟山古墳に築かれた城で、正平年間(1346~1370)に河内守護代の杉原氏によって築かれたとされる。一般には誉田御廟山古墳が誉田城とされているが、諸説ある。文明11年(1479)に畠山氏によって高屋城が築かれると、誉田城はその支城として機能した。三好氏と織田氏の抗争の際に、天正3年(1575)に織田氏によって攻め落とされて以降は廃城となったものと考えられている。誉田御廟山古墳は応神天皇陵に比定されているため、現在は立ち入りできない。

誉田城全体図(地理院地図より)。
応神天皇陵を利用した城だった。
一般には応神天皇陵が誉田城といわれるが諸説ある。

北側の遥拝所から見た誉田城。
体積第一位の古墳は山と見分けがつかない。

北西隅から古墳の西面を見たところ。

訪城:平成28年7月15日

大阪 河内