宮野城
- 読み:みやのじょう
- 別名:猿ヶ京城
- 所在地:群馬県利根郡みなかみ町(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:尻高氏
- 文化財指定:-
宮野城は、赤谷湖に突き出した半島の上(赤谷湖は昭和に築かれた人工湖のため往時は赤谷川と西川の合流点に突き出した崖上)に築かれた城で、天正2年(1574)に真田氏によって尻高城を追われ、父・景家も討死となったため当地へ逃れてきた尻高義隆によって築かれたとされる。尻高氏は越後の上杉謙信に仕え、謙信の関東進出の際には宮野城が三国峠越えの宿所として使われた。天正6年(1578)に謙信が急死すると、尻高氏は北条氏直に仕えるようになる。天正8年(1580)、宮野城は真田氏の攻撃を受けて陥落。尻高義隆は舒林寺にて自害し、宮野城は廃城となった。
赤谷湖東岸の相俣のローソンから見た宮野城。
写真中央やや左のホテル湖城閣の辺りが主郭、写真右の城西学園研修施設の辺りが二郭。
二郭の様子。。
奥に土塁が残っている。
二郭から主郭を見たところ。
主郭はホテル湖城閣の敷地となっている。
主郭と二郭を隔てる堀。
訪城:平成22年6月19日
群馬 上野