中山城
- 読み:なかやまじょう
- 別名:-
- 所在地:群馬県吾妻郡高山村(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:赤見氏
- 文化財指定:高山村指定史跡(平成元年11月30日)
中山城は、三国街道と沼田街道が交差する交通の要衝に築かれた崖端城で、天正10年(1582)に北条氏によって築かれた。同年、北条氏配下の白井長尾氏によって、真田氏配下の中山氏の居城であった中山古城が落とされ、北条氏は当地に中山城を築いた。中山城には赤見氏が入るが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡すると、中山城も廃城となった。現在は大部分が農地となっているが、主郭の周辺は堀などの遺構が保存されている。
中山城縄張図(現地案内板より)。
東の崖に面して築かれ、主郭の北・西・南を二郭が取り囲み、二郭の西と南を三郭が囲んでいる。
三郭の南には広大な捨曲輪が設けられている。
国道145号(沼田街道)沿いに建つ中山城址の碑。
北東から見た中山城。
三郭(右)と捨曲輪(左)を隔てる堀。
この堀は城内を東西に貫いている。
城域の南部に設けられた捨曲輪。
捨曲輪北端から見た三郭、二郭、主郭。
三郭と捨曲輪の間には土橋が設けられていたと伝えられている。
三郭の南西端には、中山氏の家臣・奈良氏が建てた草蔵寺の跡がある。
三郭から城の西側を見たところ。
二郭(右)と三郭(左)を隔てる堀。
往時はもっと深かったと思われるが、現在は埋められて蒟蒻畑になり、わずかに堀の跡が残っている。
二郭の北部と西部を仕切る掘切。
堀はまっすぐに伸びて主郭北西端に突き当たり、左右に分かれる。
通路も兼ねていたと考えられている。
主郭。
主郭には、中山氏末裔の方によって城明神が祀られている。
北曲輪と北の帯曲輪を隔てる堀。
北曲輪。
城の東端に築かれた下曲輪。
訪城:平成20年12月13日
群馬 上野