荘田城

  • 読み:しょうだじょう
  • 別名:和田屋敷
  • 所在地:群馬県沼田市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:庄田氏、沼田氏、和田氏
  • 文化財指定:沼田市指定史跡(昭和51年3月30日)

荘田城は、利根川東岸の沼田盆地の段丘に築かれた城で、天慶3年(940)に藤原秀郷に従って平将門公の討伐に加わった庄田平八が、平氏の一人を伴って帰郷し館を建てて住まわせたのが始まりとされている。その頃は現在の熊野神社あたりに館があったという。その後7代の孫の経家は平清盛から利根北勢多の庄官に任じられる。頼朝の時代には信任を得て、三浦氏の娘を娶り、生まれた利根姫は頼朝の子の大友能直を生んでいる。大友能直は建久7年(1196)に九州の守護職として下向し、後の大友氏の祖となった。一方の三浦氏は宝治元年(1247)に北条時頼によって滅ぼされるが、一族の一人が荘田へ逃れて沼田景泰を名乗り、縁類の大友氏の所領を統治して城を整備した。この頃は段丘上に城の中心があったと考えられている。その後8代目の景朝が応永12年(1405)に小沢城に移るまで沼田氏の居城であり続けた。その後は沼田氏の配下の和田氏が居館とした。

荘田城址公園全体図(現地案内板より)。上が東

段丘下の曲輪跡。
公園化されていて遺構はほとんどない。

熊野神社。
このあたりに最初期の館があったという。

牛石(右)と馬石(左)。
沼田景泰の牛と馬が景泰の死を悲しみ鳴いて石に化けたものとも、沼田景朝が小沢城に移る際に別れを惜しんだ牛と馬が石に化けたものとも伝えられる。

公園内を流れる川は堀の名残と思われる。

段丘上の曲輪跡。
沼田氏の時代はこちらに城の中心があったと考えられている。

溝跡。
段丘背後からの攻撃に備えるためのものと思われる。

南側の切通しも堀の跡と思われる。

古墳時代の竪穴住居跡。
古くからこの地に人が住んでいたことを物語っている。

北側を流れる川。
天然の堀の役目をしていたと思われる。

訪城:平成30年8月18日

群馬 上野