嵩山城
- 読み:たけやまじょう
- 別名:嶽山城、岳山城、武山城
- 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:斉藤氏
- 文化財指定:中之条町指定文化財(昭和63年3月26日)
嵩山城は、吾妻川北岸の中之条盆地北端にそびえる嵩山に築かれた山城で、その築城時期ははっきりしていない。嵩山は古くから祖霊を祀る霊山として信仰を集めていた。永禄6年(1563)に真田幸綱(幸隆)の吾妻郡進攻により岩櫃城が陥落すると、岩櫃城主だった斉藤憲広、憲宗父子は越後の上杉謙信を頼って敗走。憲広の末子城虎丸は嵩山城に立てこもり、中山氏、尻高氏の支援を受け岩櫃城を奪った真田氏と四万川を挟んで対峙した。永禄8年(1565)11月、真田幸綱は嵩山方の池田佐渡守父子を内通者として味方につけ、11月16日に五反田の台で激突。同日夕方には戦闘は嵩山城に移行し、翌17日に嵩山城は落城した。越後からの増援を率いていた斉藤憲宗は自刃。城虎丸は大天狗から身を投げて自害し、斉藤氏は滅亡した。その後まもなく嵩山城は廃城となり、元の信仰の山に戻っている。もともと険しい岩山であったこともあり、大掛かりな普請は必要なかったと思われ、堀切や土塁はあまり見られない。
嵩山城概要図(地理院地図より)。
標高789メートルの岩山の天然の要害を利用した城だった。
吾妻川対岸の東吾妻町岩井地区から見る嵩山城。
南麓の親都神社から見上げる嵩山城。
南麓の一の木戸。
一の木戸から続く大手の道。
大手道を登りあげたところに設けられた天狗の平。
嵩山の西の頂・小天狗。
小天狗から岩櫃城(写真中央)方面を望んだところ。
小天狗から嵩山東側を望んだところ。
写真右の頂が中天狗、左の頂が大天狗。
中天狗と大天狗の間の削平地は実城の平と呼ばれ、主郭になっている。
御城の平、無常の平とも呼ばれている。
写真の石仏群は、合戦後に設置されたもの。
実城の平の近くにある経塚。
嵩山合戦の戦没者を弔うために造られた。
実城の平の北側は緩やかな斜面になっていて、小さな削平地がいくつか設けられている。
嵩山の東の頂・大天狗。
真田勢に追い詰められた斉藤城虎丸はこの上から身を投げ自害したと伝えられている。
鎖を伝って頂上へ行くことができる。
訪城:平成20年5月3日・平成27年2月15日
群馬 上野