明徳寺城
- 読み:みょうとくじじょう
- 別名:天神山城
- 所在地:群馬県利根郡みなかみ町(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:沼田氏、上杉氏、北条氏、真田氏
- 文化財指定:みなかみ町指定史跡(昭和45年4月1日)
明徳寺城は、利根川東岸の河岸段丘上に築かれた崖端城で、南北朝時代に荘田城の沼田氏が会津の芦名氏の侵攻に備えて築いた天神山砦が始まりとされている。戦国時代に入り沼田氏が滅亡すると、沼田一帯は上杉氏の領有を経て、天正7年(1879)に北条氏のものとなる。翌天正8年1月、明徳寺城は真田昌幸の急襲を受けて落城。城は真田氏によりさらに補強された。天正17年(1589)、豊臣秀吉の仲裁により名胡桃城以外の利根郡を北条氏、吾妻郡を真田氏のものと定め、明徳寺城は再び北条氏のものとなる。しかし沼田城代猪俣憲直がこの協定を破って名胡桃城を奪取したことをきっかけに、翌天正18年(1590)に北条氏は滅ぼされ、利根郡が再び真田氏のものとなると、明徳寺城はその存在意義を失い廃城となった。
現在は郭内は耕地となっているが、遺構は比較的よく残されている。
主郭の北側の虎口。
土塁が二重になっている。この土塁はそのまま主郭の東側へつながっている。
主郭内部。
南北約180メートルの広大な曲輪で、現在は農地になっている。
北の虎口付近の土塁を主郭内部から見たところ。
高さ3メートルほど。
主郭の西側の腰曲輪に建てられた水子地蔵。
水子地蔵から山の麓へ続く道。
明徳寺へ続いているものと思われるが、藪化している。
訪城:平成20年11月8日
群馬 上野