長瀞城
- 読み:ながとろじょう
- 別名:-
- 所在地:山形県東根市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:西根氏、長瀞氏、最上氏、鳥居氏、保科氏、米津氏
- 文化財指定:-
長瀞城は、白水川の北に広がる平地に築かれた平城で、建長年間(1249~1256)に西根氏によって築かれたのが始まりとされる。戦国時代には天童氏配下の長瀞氏が城主を務めていた。応永年間(1394~1428)には天童氏の勢力下に入る。元和8年(1622)の御家騒動により最上氏が改易となると、長瀞城は山形城主の鳥居氏や保科氏らによって利用された。保科氏が転封となると長瀞は天領となり陣屋が置かれた。寛政10年(1798)には武蔵国久喜から移ってきた米津通政が長瀞藩を興し、長瀞城に藩庁をおいた。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に属したため新政府軍の攻撃を受け全焼している。現在は宅地化が進んでいるが、堀が一部残っている。
長瀞城概要図(現地案内板より)。右が北。
本丸の周囲を二の丸が囲み、二の丸を三の丸が囲む輪郭式の城であった。
西根氏によって築かれた当初は本丸のみの単郭の城館であったと考えられている。
本丸中央部の陣屋跡。
本丸の堀の名残の水路。
本丸東側の大手門跡。
二の丸の堀は一部埋められ長瀞城跡の碑が立てられている。
二の丸の南側の堀。
二の丸の東側の堀。
二の丸の東側の大手。
三の丸には長瀞公民館が建っている。
訪城:令和2年11月20日
山形 羽前