難波宮

  • 読み:なにわのみや/なんばきゅう
  • 別名:-
  • 所在地:大阪府大阪市中央区(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:天皇家
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和39年5月2日)

難波宮は、淀川南岸に築かれた皇居である。『日本書紀』に記される16代仁徳天皇の難波高津宮もこの周辺にあったとの説が有力である。皇極天皇5年(645)に起きた乙巳の変で蘇我氏本流が滅亡すると、大化元年(645)12月、36代孝徳天皇は難波に皇居を遷し、翌大化2年1月に発した改新の詔第2条で初修京師として難波宮が日本初の首都と定められた。この頃の建物はすべて掘立式であったことが発掘調査からわかっている。斉明天皇元年(655年)1月、飛鳥に戻っていた35代皇極天皇は37代斉明天皇として践祚。複都制を敷き、飛鳥板蓋宮とともに難波宮も都とするが、朱鳥元年(686)1月に難波の宮室が全焼。持統天皇8年(694)に都が藤原京へ移されると、難波宮は廃された。645年~694年までの難波宮を前期難波宮という。

奈良時代の神亀3年(726)、45代聖武天皇は、難波京の造営を進め、難波京を副都とする。天平15年(744)に難波京へ遷都するが、翌天平16年1月1日に紫香楽宮へ遷都している。この難波宮は後期難波宮といい、建物には礎石が用いられていた。

現在は跡地の一部が難波宮跡公園として整備されている。

後期難波宮の大極殿跡。
基壇が復元されている。

大極殿跡背後の後殿跡。

前期難波宮の八角殿跡。
現在は八角形の藤棚が造られている。

後期難波宮の五間門跡。
基壇が復元されている。

前期難波宮の朝堂院西第1堂跡。
前期の建物はすべて掘立式であった。

訪城:平成25年10月12日

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