那波城
- 読み:なわじょう
- 別名:堀口城
- 所在地:群馬県伊勢崎市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:那波氏、松平氏(大給)
- 文化財指定:-
那波城は、韮川西岸の平地に築かれた平城で、天文年間(1532~54)に那波宗俊によって築かれたとされる。往時は低湿地の中に微高地であったと思われる。永禄3年(1560)、長尾景虎の進攻を受け赤い市場とともに陥落。一度は所領を失った那波氏であったが、天正2年(1574)には上杉の人質となっていた那波顕宗が復権。顕宗は今村城に入り、那波城はその支城となった。天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏に代わって徳川家康が関東に入ると、家康の家臣の松平家乗が那波城に入るが、慶長6年(1601)に家乗が美濃国岩村城へ転封となると、那波城は廃城となった。
現在の那波城は伊勢崎市立第二中学校、名和幼稚園、名和小学校といった学校施設が建つほか、耕地整理や宅地開発が進み遺構はまったく見られない。名和幼稚園の南の本丸跡の碑と名和小学校の城址碑が縄状の存在を伝えるのみとなっている。
本丸に建つ那波城址本丸跡の碑。
周囲は幼稚園、中学校のほか耕地化や宅地化が進んでいる。
名和小学校の校庭に県道伊勢崎本庄線に向けて建つ城址碑。
揮毫は徳富蘇峰。
那波城の北に鎮座する飯玉神社。
那波城の南西にある那波公園の池。
往時の那波城はこのような水域に囲まれていたと思われる。
訪城:令和5年10月28日
群馬 上野