野尻城
- 読み:のじりじょう
- 別名:琵琶島城
- 所在地:長野県上水内郡信濃町(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:芋川氏、高梨氏
- 文化財指定:-
野尻城は、野尻湖の湖上に浮かぶ琵琶島に築かれた湖城で、別名を琵琶島城ともいう。琵琶の形をした島のほぼ中央に南北に堀切が設けられ、東曲輪と西曲輪に分けられている。後に城は拡張され、野尻湖北岸の尾根上に野尻新城が築かれている。
中世には沼尻(野尻湖西岸)の芋川氏に属し、南北朝時代には信濃守護によって管理されていた。室町時代になると、現在の中野市の高梨氏の支配領域に組み込まれる。高梨氏が武田氏により圧迫され、春日山城の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼るようになると、野尻城は武田氏に対する長尾氏の前線基地となった。永禄年間(1558~70)には両者の間で争奪が繰り広げられた。この間に、長尾氏は野尻城を拡張して湖の北岸の尾根上に野尻新城を築き、城の中心はそちらへ移っていった。
野尻湖北岸から見た琵琶島。
北岸から琵琶島までは300メートルほど離れている。
琵琶島には沼尻村の産土神として天平2年(730)創建の宇賀神社が鎮座している。
琵琶島の西曲輪。
西曲輪(左)と東曲輪(右)を隔てる堀切。
島の中央で琵琶島を東西に分けている。
東曲輪。
奥には宇賀神社の社殿が建てられている。
東曲輪内の宇佐美定行の墓。
宇佐美定行は、長尾政景が上杉謙信に対して異心を抱いていることを察知し、政景を野尻湖の舟遊びに誘い出して自分もろとも湖底に沈めたとされる架空の武将。
ここには定行の具足が埋められ、経塚が設けられたと伝えられている。
野尻湖北岸の野尻新城(中央の小高い丘)。
訪城:平成23年9月18日
長野 信濃