世田谷城
- 読み:せたがやじょう
- 別名:−
- 所在地:東京都世田谷区(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:吉良氏
- 文化財指定:東京都指定旧跡(大正8年10月)
世田谷城は、目黒川の支流の烏山川(現在は暗渠になっている)の北岸の台地上に築かれた城で、貞治5年(1366)に吉良治家によって築かれたとされるが定かでない。世田谷城の城域は諸説ありはっきりしていないが、豪徳寺住宅の建つ辺りが主郭であり豪徳寺には居館が築かれていたとも、豪徳寺が主郭であるとも言われている。吉良氏は少なくとも永和3年(1377)頃には世田谷周辺に領地を持っていたと見られ、15世紀には太田道灌と同盟し武蔵に勢力を張った。吉良頼康の代には北条氏に仕えていたが、天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、吉良氏は上総国の生実へ逃れ世田谷城は廃城となった。江戸時代には彦根藩井伊氏の所領となり、城跡に築かれた豪徳寺の境内には井伊氏の墓所が設けられている。現在では住宅地のただ中にあるため遺構のほとんどが失われているが、世田谷城址公園に土塁と堀が残され、豪徳寺境内にも土塁の一部が残されている。
世田谷城全体図(現地案内板より)。
郭Aが主郭であるとも豪徳寺が主郭であるとも言われている。
世田谷城址公園内に残る土塁と堀。
城址公園の土塁と堀を土塁上から見たところ。
豪徳寺境内の三重塔の脇に残る土塁。
豪徳寺境内の井伊家墓所の脇に残る土塁。
豪徳寺境内の本堂の脇に残る土塁。
豪徳寺駐輪場から見る郭Aの土塁。
井伊家墓所の井伊直孝の墓。
訪城:令和7年8月16日
東京 武蔵