志苔館

  • 読み:しのりだて
  • 別名:-
  • 所在地:北海道函館市(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:小林氏
  • 文化財指定:国指定史跡(昭和9年8月9日)
  • 続日本100名城(101番)

志苔館は、志海苔川東岸の海岸段丘南端に築かれた城館で、松前藩の歴史書『新羅之記録』に登場する12の館「道南十二館」の一つである。築城年代ははっきりしないが、ほかの館と同時期に小林太郎左衛門尉良景によって築かれたとされている。館はほぼ長方形の単郭で、周囲を土塁と空堀が取り囲んでいた。西側には虎口が設けられ、その外側に二重の空堀が掘られていた。

康正2年(1456)、志苔の和人鍛冶屋がアイヌ男性を口論の末に殺害する事件が発生。翌長禄元年(1457)、首領コシャマインを中心にアイヌが結束し、和人に対し蜂起(コシャマインの戦い)。この戦いで志苔館は攻め落とされた。戦いの後、再び小林氏が志苔館に居住したが、永正9年(1512)に再びアイヌの蜂起が発生(ショヤコウジ兄弟の戦い)。志苔館はまたも攻め落とされ、館主の小林彌太郎良定は討ち死にした。小林氏はその後は松前藩に従属し、志苔館は廃城になった。

志苔館縄張図(現地案内板より)。
東西70~80メートル、南北50~65メートルのほぼ長方形の曲輪を土塁と空堀が囲み、西側に虎口が設けられている。
西側には二重の空堀とその外側に小土塁が設けられた。

志苔館の碑。

館の西側に設けられた二重空堀。

二重空堀から西側を見たところ。
小土塁が設けられている。
奥には函館山が見える。

虎口付近から見た郭内。
建物跡が平面復元されている。

北東隅から見た郭内。
主郭の周囲は高さ2~4メートルの土塁が取り囲んでいた。

訪城:令和6年6月30日

北海道 渡島