八幡山城
- 読み:やはたやまじょう
- 別名:-
- 所在地:静岡県静岡市駿河区(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:今川氏、伊勢氏
- 文化財指定:-
八幡山城は、安倍川東岸の平地の独立丘陵八幡山に築かれた山城で、応永18年(1411)頃に駿府に入った駿河守護今川範政が今川館の周辺に築いた城塞の一つとされる。文明8年(1476)の今川家のお家騒動では、鎌倉から派遣された太田道灌がここに布陣している。このお家騒動は今川氏の客将であった伊勢盛時によって一応の落着をしている。伊勢盛時は八幡山城を修復して麓に居館を築いて駿府の警護に当たり、長享元年(1487)に小鹿範満を倒して今川氏親を駿府へ迎え入れ、自らは興国寺城へ移った。永禄12年(1569)に甲斐の武田信玄が駿河へ進攻すると八幡山城もその支配するところとなった。天正10年(1582)に武田氏が滅亡し、駿河は徳川家康の領有になったが、天正18年(1590)に家康が関東へ移封となると廃城になったと見られている。
現在は八幡山公園になっている。
八幡山城周辺図(地理院地図を加工)。
静岡平野の独立丘陵に築かれている。
八幡山の南麓に鎮座する八幡神社。
山の名前は「やはたやま」だが神社の名前は「はちまんじんじゃ」。
神社裏山の尾根上に八幡山城が築かれている。
三郭と思われる曲輪。
二郭。
尾根上に築かれた東西に細長い曲輪で傾斜している。
二郭と主郭の間の広い堀切。
自然の鞍部を利用していると思われる。
八幡山の山頂部に設けられた主郭。
主郭に設けられた櫓台跡と思われる高台。
主郭から東側を見たところ。
北側からの登城口。
訪城:令和7年3月23日
静岡 駿河