高島城
- 読み:たかしまじょう
- 別名:諏訪の浮城、島崎城
- 所在地:長野県諏訪市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:日根野氏、諏訪氏
- 文化財指定:諏訪市指定史跡(昭和54年2月15日)
- 続日本100名城(130番)
高島城は、諏訪湖の東岸に築かれた城で、豊臣秀吉の家臣の日根野高吉が天正18年(1590)に築いたのが始まりである。諏訪湖に突き出す形で築かれた高島城は、諏訪湖の湖水と数条の河川が天然の堀の役割をし、あたかも湖面に浮いているように見えたことから「諏訪の浮城」とも呼ばれた。
関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601)、武田信玄によって諏訪を追われていた諏訪氏がこの地の領主に返り咲き、明治まで高島藩を治めた。その間に諏訪湖の干拓事業が進められ、18世紀にはすでに「諏訪湖の浮城」の面影はなくなっていったという。また、寛永3年(1626)には徳川家康の六男・松平忠輝の身柄を南の丸に預かっている。現在は高島公園となり、昭和45年(1970)に天守が復興されている。
高島城の縄張り(地理院地図を加工)。
南から本丸・二の丸・三の丸が並ぶ連郭式の城であった。
東角櫓(復元)。
東隅櫓付近から見た冠木橋、冠木門、天守。
いずれも復元されたもの。
冠木橋と冠木門。
本丸搦手にあたる土戸門。
川渡門。
城が湖に面していた頃は、ここから舟で諏訪湖に出ることができた。
現在ここに建っているのは三の丸御殿裏門で、昭和63年(1988)に所有者から諏訪市に寄贈され移築されたもの。
本丸内に建つ諏訪護国神社。
本丸内部から見る三層三階の復興天守。
往時の天守は、湿地帯に建っていたことから重い瓦は使えず、こけら葺きの屋根であったと伝えられている。
復興天守の屋根は銅葺きになっている。
復興天守。
窓の位置や大きさなど細部が往時のものと異なる。
内部は資料館になっている。
小天守跡。
こちらは史料不足もあって復元されていない。
天守は天守台よりも若干小さめに造られている。
天守3階の展望台から諏訪湖を遠望したところ。
天守3階の展望台から富士山を遠望したところ。
諏訪市武道館が建つ南の丸。
改易された松平忠輝の身柄をここで預かっていた。
二の丸(奥)と三の丸(手前)の間の三の丸橋。
三の丸(奥)と衣之渡郭(手前)の間の橋。
訪城:平成21年2月11日・平成24年7月21日・平成25年2月17日・令和5年2月22日・令和6年1月14日
長野 信濃