伴野氏館
- 読み:とものしやかた
- 別名:伴野城、野沢城
- 所在地:長野県佐久市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:伴野氏
- 文化財指定:長野県指定史跡(昭和40年4月30日)
伴野氏館は、千曲川の南西の平地に築かれた館である。鎌倉時代から室町時代にこの地に勢力を張った伴野氏によって築かれ、室町時代から戦国時代初期には館を主郭として周囲に二郭、三郭を配して伴野城と呼べる規模にまで拡大したが、後に前山城へ本拠を移している。天正10年(1582)に館は徳川家康配下の依田氏によって破壊されている。その後、天正年間の末頃に小諸に入部した仙石氏によって年貢米の貯蔵所として利用されたほか、天領となった時代には代官の陣屋が置かれた。正徳3年(1713)に野沢村が岩村田藩の領地になると、藩の役所が置かれ、村の郷倉地にも利用された。現在は館跡一体が城山公園として整備されている。
南に設けられた土橋。
土橋側面の石積。
土橋上から東側の堀を見たところ。
堀の幅はほぼ往時のままと考えられる。
南東端から土橋方面を見たところ。
主郭南面には土塁が設けられていたが、現在は滅失している。
南西端に鎮座する大伴神社。
土壇は後世神社が建てられた時に造成されたものと思われる。
大伴神社からみた主郭。
北面と東面に土塁が設けられているのが見える。
大伴神社裏に建つ伴野氏館阯の碑。
館跡碑の下にはこのような石積が見られるが、往時のものかは不明。
主郭西面に設けられた虎口。
北西端の土塁上には、多くの神仏が祀られている。
館の外側から見た北側の堀と土塁。
堀は用水路の幅だけ残して埋められている。
伴野氏館の東に隣接して建つ成田山薬師寺。
ぴんころ地蔵として知られる。
薬師寺の山門。
龍岡城の東通用門を移築したもの。
山門のそばのぴんころ地蔵。。
訪城:平成26年1月18日
長野 信濃