横尾八幡城

  • 読み:よこおはちまんじょう
  • 別名:-
  • 所在地:群馬県吾妻郡中之条町(GoogleMapで位置を確認)
  • 主要城主:尻高(しったか)氏、真田氏
  • 文化財指定:中之条町指定史跡(昭和63年3月26日)

横尾八幡城は、北を赤坂川、東を名久田川に囲まれた段丘の上にある八幡山の頂上部に築かれた山城である。主郭を中心に腰曲輪が周囲を取り囲む縄張で、『吾妻記』によると、大永年間(1521~1528)に尻高三河守によって築城されたと伝えられる。天正8年(1580)に真田昌幸がこの地へ進出すると、富沢豊前守が配置された。天正10年(1582)3月に武田氏が滅亡、さらに同年6月に起きた本能寺の変によって織田氏配下の滝川一益が厩橋城から引き揚げると、上州南部までを支配していた北条氏が北上を開始し、吾妻・利根を支配する真田氏と対立する。天正17年(1589)12月には北条氏邦が白井城から攻め寄せたが、富沢氏、渡辺氏、金子氏、尻高氏、鎌原氏、湯本氏、川原氏などの吾妻勢がこの城に篭り、これを退けている。

横尾八幡城縄張図(現地案内板より)。
右が北になる。
主郭を中心に曲輪が配置され、東側は切り立った崖になっている。

20~30メートル四方の主郭。
周囲を高さ1.5メートルほどの土塁が取り囲んでいる。

主郭を囲む腰曲輪の南側から見た主郭。
腰曲輪からの土塁の高さは4メートル近くある。

主郭をぐるりと取り囲む腰曲輪。

枡形的な虎口。
主郭南の腰曲輪の南端には、このような地形が見られ、門の跡と考えられる。

訪城:平成20年3月29日

群馬 上野