湯川城

湯川城は、滝の湯川と渋川の合流点に向かって突き出した台地上に築かれた城で、天文年間(1532~1555)に佐久への進攻を開始した武田晴信(信玄)によって築かれたとされる。原ノ城と枡形城に分かれている。現在は農地化が進み、遺構のほとんどが消失しているが、原ノ城の堀や砦の沢が残っている。

湯川城概要図(地理院地図を加工)。

原ノ城の伝大手門跡。

伝大手門跡から原ノ城を見たところ。

原ノ城の東に設けられた堀。

堀から見る城内。
奥の山は朝倉山城。

原ノ城と枡形城の間を流れる砦の沢。

枡形城。
奥には土塁のようなものが見える。

訪城:平成26年4月5日

長野 信濃