膳城
- 読み:ぜんじょう
- 別名:-
- 所在地:群馬県前橋市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:膳氏、河田氏
- 文化財指定:群馬県指定史跡(昭和24年3月11日)
膳城は、赤城山南麓の兎川と童子川にはさまれた台地の先端部に築かれた平山城で、15世紀中ごろに善氏(のちに膳氏と称す)によって築かれたとされる。文明12年(1480)に佐野氏の攻撃を受け落城したが、善氏は横瀬業繁の援助で再び膳城に入り、以後は由良・横瀬氏の影響下に入った。永禄5年(1562)には越後上杉方につくが、やがて北条氏の攻撃を受け落城。膳氏は没落していった。以後、越後上杉氏、北条氏、武田氏の間で争奪が行われたが、天正6年(1578)に上杉謙信が急死すると、城は北条氏のものとなり、河田氏が入城する。天正8年(1580)、上杉氏に御館の乱が起き、景勝を支援する武田勝頼は、景虎派の厩橋城を攻略し、ついで大胡城、山上城などを膳城周辺の城を攻略していった。その際、勝頼が攻略地の視察をしているところへ膳城の兵が攻撃を仕掛けたものの逆に攻め落とされ(膳城素肌攻め)、膳城は廃城となった。現在は主郭と二郭周辺の堀や土塁がよく残されている。
膳城縄張り図(現地案内板より)。
主郭。
南北60m、東西40mほどの広さ。
主郭から東側の馬出曲輪方向を見たところ。
主郭、二郭以外は宅地化が進んでいる。
主郭(左)の南側に設けられた堀切。
主郭の西側の堀切。
二郭。
東西に伸びる大規模な曲輪ですが、東側の大部分は宅地化している。
主郭(右)と北曲輪(左)の間に設けられた堀切。
横屋がかけられているのがわかる。
主郭の北に設けられた北曲輪。
粕川出土文化財管理センターの敷地になっている。
北曲輪(右)と袋曲輪(左)の間の堀切。
堀切は奥で左に90度折れ曲がり、西虎口まで続いている。
袋曲輪。
袋曲輪に設けられた古塔。
二郭(右)と袋曲輪(左)の間に設けられた堀切。
堀切は奥で土橋に突き当たっている。
二郭と袋曲輪東端をつなぐ土橋。
土橋手前の堀切は浅く、奥の堀切(主郭西の堀切)は深くなっている。
西虎口。
ここから西は宅地・農地が広がっている。
訪城:平成21年12月23日
群馬 上野