石垣山城
- 読み:いしがきやまじょう
- 別名:石垣山一夜城
- 所在地:神奈川県小田原市(GoogleMapで位置を確認)
- 主要城主:羽柴氏(豊臣氏)
- 文化財指定:国指定史跡(昭和34年5月13日)
- 続日本100名城(126番)
石垣山城は、小田原城の南西3kmの位置に聳える笠懸山とも松山とも呼ばれた山の頂上部に築かれた陣城で、天正18年の小田原征伐に際し豊臣秀吉によって築かれた。4月に着工して6月27日に完成。築城中は小田原方面から見えないようにし、城が完成してから小田原城側に面した木を伐採し、一夜にして城が出現したように見せかけたことから、石垣山一夜城とも呼ばれる。実際は小田原方面からも築城の様子は見えていたと考えられるが、みるみるうちに城ができていく様子は北条方を驚愕させたと思われる。秀吉はこの城で茶会を開いて後陽成天皇の勅使を迎えたり、能役者、猿楽師を呼び寄せたりした。また、茶々などの側室を呼び寄せ、参陣した諸大名にもこれに倣うよう勧めたといわれている。同年7月5日、北条氏が降伏し、小田原城が開城すると、石垣山城はその役目を終え廃城となった。
石垣山城縄張図(現地案内板を加工)。
右上が北。
山頂部の本丸(本城曲輪)を中心に、東の二の丸(馬場曲輪)、南に東曲輪と南曲輪、西に西曲輪が配置され、二の丸の東には水の手となる井戸曲輪が配置されている。この図には記されていないが、北側には三の丸が設けられている。
東口の石垣山一夜城歴史公園の碑。
東口に置かれている石垣用石材。
早川の広域農道建設に当たり発掘され、移設されたもの。
東口の本来の登城口。
東口から見た南曲輪の石垣。
出曲輪方面の南曲輪の石垣。
ごろごろしている石材は、関東大震災で崩れたものが多いという。
南曲輪と東曲輪の間の通路。
関東大震災で崩れた石材がごろごろしている。
東曲輪(下段)。
二の丸の南に残る石垣。
二の丸(馬屋曲輪)。
石垣山城で最も広い曲輪。
二の丸の北東部に残る櫓台の跡。
櫓台から小田原市街方面を見たところ。
二の丸の東下に設けられた北口への道。
二の丸の東に設けられた井戸曲輪。
深く掘られたさざえ井戸で、壁面が石垣で補強されている。
小田原市街側はため池のような堰堤状になっている。
二の丸から見る本丸の石垣。
本丸。
本丸から見る小田原城。
天守台。
三重の天守が設けられていた。
石垣はほとんど崩れている。
本丸の西に設けられた西曲輪。
南曲輪。
訪城:平成24年6月16日、令和6年8月17日
神奈川 相模